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『山梨県志』(やまなしけんし)は、1915年(大正4年)に山梨県で実施された民間の修史事業。若尾財閥の三代目当主・若尾謹之助により企図されたが、中途に終わった。 == 「山梨県志」以前の修史事業 == 「山梨県」は江戸時代までの令制国における「甲斐国」と同一の範囲を差し、明治維新を経て1871年(明治4年)7月の廃藩置県により甲府県から改称され成立した。「山梨」は甲斐四郡のうちの山梨郡に由来し本来甲斐国全体を指す呼称ではなく、明治初期に設立された山梨県内の政治団体や出版物においては「峡中」が一般の用いられている〔『山梨県史』通史編5、p.14〕。明治後期には「山梨」が全県を指す呼称として定着し〔『山梨県史 通史編5』、p.504〕、「山梨県志」においても用いられている。 甲斐国・山梨県における修史事業としては江戸中後期に甲斐国を見聞した随筆や紀行文、地誌類が出現し、文化11年(1814年)には甲府勤番・松平定能が主体となった『甲斐国志』が編纂された。甲斐国志は甲府勤番が主体となり編纂され最終的に幕府に献本されたが、私選の総合地誌として地域の長百姓が編纂委員として登用され、自由な執筆態度で編纂された。甲斐国志の「志」は紀伝体の歴史書における項目名を意味し〔石川(2014)、p.1〕、主に社会地理、制度、文化などが著述された総合地誌となった。 その後、「山梨県志」の編纂まで大規模な修史事業は行われていない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山梨県志」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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