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山浦 光則(やまうら みつのり)は、江戸時代前期の公卿、米沢藩士。日本史上唯一のキリシタン公卿の殉教者である。猪熊季光(四辻家出身。上杉定勝生母で上杉景勝側室・四辻氏の兄弟)の次男。 キリシタンであった光則は寛永11年(1635年)、迫害を避けて妻子と共に京都から逃れ、従兄の定勝を頼って米沢へ身を寄せた。これは上に挙げた父方の血縁と同時に、米沢藩におけるキリシタン弾圧が景勝時代から、他藩と比べて緩いものだったことが起因であると言われる。 定勝の計らいにより、光則は山浦景国の跡を受けて上杉家一門の山浦上杉家を継ぎ、身柄を安堵された。しかし定勝の死後、幕府の厳命を受けた上杉綱勝によって、承応2年12月に伯母・四辻氏が葬られている米沢極楽寺境内で斬首された。遺体は四辻氏の墓の隣に葬られたといわれる。 光則の妻子は免罪され、息子2人は僧侶(長男はのちに法音寺9世、能範法印)となり、娘3人(長女は夭折)のうち次女は綱勝生母生善院(近衛家家司斉藤本盛娘)の侍女を経て侍組平林正信(平林正恒嫡孫)に、三女は米沢長命寺(浄土真宗)住職にそれぞれ嫁いだ。 現在、四辻氏の墓とされている上杉家側室の墓の側に、光則の供養塔が建立されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山浦光則」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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