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山田 ゴロ(やまだ ゴロ、1952年12月23日 - )は、日本の漫画家である。本名、山田 五郎(やまだ ごろう)〔。 現在、江戸川大学マスコミュニケーション学科(クリエーター論・文化論・実技)とヒューマンアカデミー(クリエーター論・実技)にて、非常勤講師を勤める。Japan Macintosh Artist club(J-Mac)代表。日本マンガ学会、社団法人日本漫画家協会、デジタルマンガ協会事務局長、マンガジャパン所属。 == 経歴 == 岐阜県羽島郡八剣村(現:岐南町)出身〔『漫画サンデー』2012年8月27日号掲載『アツい夏の日』(山田の原作、作画は倉田よしみ)〕。小学生時代、自衛隊のパラシュート訓練を見たのが気に入り、夏休みの宿題に描いた。通常なら真横か地平から描くものだが、山田は飛行機より上という、小学生にしては大胆な構図で描く。これでクラスメートから「絵が嘘だ」と言われたが、母は「見たままだけではなく、想像力が必要」と言ってくれた。 その後、小学5年生の時に転校してきた同級生2人に影響される。山田はたまたま人の家の庭を横切ろうとした時、その2人が漫画を描いているのに遭遇する。1人目は既存の商業作品を模写してオリジナルの漫画を構成するのが、2人目は動物の作画がうまく、山田も後を追って描きはじめる。しかし中学卒業後も継続したのは山田だけだった。 本格的に漫画を描くことに触れたのは中学1年生の時、先の2人が石川球太『牙王』と横山光輝『伊賀の影丸』の真似をペンで描いていた。山田も影響を受けて、「ガス人間ヘリウムマン」というオリジナル漫画を描く。この時点で設定に「悲劇の改造人間」という、石ノ森章太郎の『サイボーグ009』『仮面ライダー』のような影響が見られた。中学3年生の時、家族会議で「漫画家になりたいから上京させてくれ」と言うと「高校ぐらいは行け」と言われ、岐阜南高等学校(現・岐阜聖徳学園高等学校)に通った。 漫画家になるには、編集者に原稿を見てもらわねばと思い、漫画出版社でなく岐阜日々新聞(今の岐阜新聞社)に持ち込むと取材が即決され、近所や学校では一躍有名人となったが、2ヶ月で沈静する。新聞の「石森のマネだが」という文章にはショックを受けたという。半年後、それを読んだ「高一コース」から取材依頼があり、7ページも掲載された。山田の絵が商業誌に載った初のケースとなり、掲載料は5万円。岐阜県外からもはげましの手紙が多数来た。 父の知人の弟である山本順也が「週刊少年サンデー」の副編集長から「少女コミック」の副編集長に異動し、山本に漫画を見てもらえるという話が父経由で来たので、父のバイクに乗って原稿を見せに行く。父は酷評で漫画家志望を断念させるつもりだったが、山本は「漫画家になれる。高校卒業したら上京しなさい」と断言した。両親が完全に許してくれないまま、高校卒業式の3日後に上京、山本を訪ねるが、この時山本はまだ新人だった萩尾望都の原稿を持っており、見せられた山田は驚愕する。その後、山本によって、中城けんたろうのアシスタントになる。 その後、石森プロに入社し、商品用イラストや絵本などを担当した後、『人造人間キカイダー』で漫画家としてデビューした〔。その後もテレビ番組のコミカライズを多く担当し、1976年に石森プロから独立した後も児童漫画を中心に活動した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山田ゴロ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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