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山田修司 : ミニ英和和英辞書
山田修司[やまだ しゅうじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 

山田修司 : ウィキペディア日本語版
山田修司[やまだ しゅうじ]

山田 修司(やまだ しゅうじ、1956年6月2日 - )は北海道札幌市出身〔「北海道新聞」1992年5月2日〕のバレーボール選手監督。元バレーボール全日本
富士フイルム女子バレーボール部選手の富塚和美は姪にあたる
== 来歴・人物 ==
東海大四高から1975年富士フイルムに加入。早いスイングから繰り出すスパイクを武器に、センタープレーヤーとして長期活躍。特に、198488年の富士フイルムの日本リーグ5連覇には、選手・主将として大きく貢献、杉本公雄御嶽和也蘇武幸志三橋栄三郎らとともに黄金時代を築き上げた。
一方、1978年以来全日本メンバーとしても活躍し、1981年ワールドカップでは敢闘賞を受賞。1984年ロサンゼルスオリンピックでも、主将としてチームを牽引した。
1987年に現役を引退。その後1992年に富士フイルムの監督に就任し、同年の日本リーグで優勝。その後も2001年まで監督を務めた。
*受賞歴
 *1975年 - 第9回日本リーグ スパイク賞、新人賞
 *1978年 - 第12回日本リーグ 敢闘賞、ベスト6
 *1979年 - 第13回日本リーグ 敢闘賞、ベスト6
 *1980年 - 第14回日本リーグ 敢闘賞、ベスト6
 *1981年 - 第15回日本リーグ 最高殊勲選手賞、ベスト6
 *1982年 - 第16回日本リーグ 敢闘賞、スパイク賞、ベスト6
 *1983年 - 第17回日本リーグ 最高殊勲選手賞、スパイク賞、ベスト6

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「山田修司」の詳細全文を読む




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