|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 山 : [やま] 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point ・ 田 : [た] 【名詞】 1. rice field ・ 千 : [せん ち, ち] 【名詞】 1. thousand 2. many ・ 千里 : [せんり] 1. (n-adv,n-t) 1000 ri 2. (a) long distance ・ 里 : [り] 【名詞】 1. ri (old measure) 2. 2. 44 miles
山田 千里(やまだ ちさと、1931年 - 2004年)は、青森県西津軽郡鰺ヶ沢町出身の津軽三味線奏者、実業家。妻は民謡歌手の福士りつ。山田流津軽三味線家元、「ライブハウス山唄」創業者、「津軽三味線全国大会」(弘前市)創始者。津軽三味線全国協議会会長、青森県芸能文化研究会会長などを務め、1999年に県褒賞、2002年に地域文化功労者文部科学大臣表彰を受けた。 == 人物・来歴 == 幼少時から独学で三味線の腕を磨き、「鰺ヶ沢の山の中に、三味線と金勘定だけは誰にも負けない少年がいる」との噂が立つほど、その演奏技術と商才には評判が高かったという。1947年、尊敬していた福士政勝に誘われる形で一座に加わり、各地を巡業。二年後の1949年には「津軽民謡団」を組織し、早くも独立を果たした。1964年には弘前市内に「ライブハウス山唄」を創業し、民謡歌手福士りつと結婚した。以後、全国各地から多くの内弟子を取り、「ライブハウス山唄」を中心に後進の育成に努めた。 地元での演奏活動や録音活動はもちろん、1976年のハンガリー公演を皮切りに海外での演奏にも力を入れ、1982年にはニューヨークでジャズドラマーのエルビン・ジョーンズと共演している。1990年には福士りつと共に紅白歌合戦出場。 1982年、初めての津軽三味線競技大会として、第1回「津軽三味線全国大会」を弘前市にて開催。 性格は生粋の津軽衆で、非常にシャイであったと言われる。和菓子等の甘いものが大好物。また、若い頃はフランス製のシャツしか着なかったという噂もあるほどのオシャレであったらしい。 晩年は糖尿病からくる合併症で入退院を繰り返した。2004年4月12日午前零時頃、鬱血性心不全のため自宅で死去。享年72。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山田千里」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|