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山田午郎 : ミニ英和和英辞書
山田午郎[やまだ ごろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [うま]
 【名詞】 1. seventh sign of Chinese zodiac (The Horse, 11a.m.-1p.m., south, May) 

山田午郎 : ウィキペディア日本語版
山田午郎[やまだ ごろう]

山田 午郎 (やまだ ごろう、1894年明治27年〉3月3日 - 1958年昭和33年〉3月9日)は、福島県安達郡二本松町 (現:二本松市)出身のサッカー選手サッカー指導者。「サッカージャーナリストの草分け」と呼ばれる人物。
== 経歴 ==
高等小学校を卒業し地元の小学校で代用教員を務めた後、東京府青山師範学校に入学しサッカーを学んだ。1917年大正6年)に青山師範を卒業して小学校の教員として勤務する傍ら、内野台嶺の勧誘により東京蹴球団に入団。1921年(大正10年)の第1回全国優勝大会(現在の天皇杯)決勝では右のHBとして出場し優勝に貢献した。
1925年(大正14年)の第7回極東選手権では日本代表監督を務め、その年には少年向けの指導書「ア式フットボール」を出版したが、翌年に教員を辞して朝日新聞社に入社し運動部記者となり、1939年昭和14年)から1941年(昭和16年)まで運動部長を務めた。戦前の日本サッカー黎明期に取材を続け、サッカーの普及、発展に尽力した事で、サッカー記者の草分け的存在と呼ばれている。また戦後には協会機関誌「蹴球」の編集長を務めた。
1958年(昭和33年)、東京都大田区脳出血のため死去、享年64。墓所は福島県二本松市の大隣寺にある〔「自らプレーヤーで指導者でもありサッカーに生涯を捧げた記者 山田午郎」賀川サッカーライブラリー (初出は月刊グラン2007年2月号 No.155)〕。
生前の功績が認められて2005年平成17年)に第1回日本サッカー殿堂入りを果たした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「山田午郎」の詳細全文を読む




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