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山田 卓(やまだ たく、1931年8月16日 - 2007年11月2日)は、日本の振付家。その振付作品の多さは群を抜いている。日本振付家協会 創設者・会長。本名は山田 卓(やまだ たかし)。 == 略歴 == 1931年8月16日大阪に生まれる。7人の子供の5番目。戦時中もあり、裕福ではない幼少時代。 1937年、吹田第一小学校に入学。茨木中学校へ進み、器械体操で国体2位を受賞した。3年で終了(この年新制に変わったため)し、鳥羽商船高等学校へ進むが1年半で辞める。理由は、自身の希望した航海科ではなく、さらには軍隊の名残があった校風が肌に合わなかったためと推測される。 退学後、姉の勧めで江川バレエ団に入団。舞踏家(ダンサー)或は振付家としての活動を始めバレエ団員として進駐軍廻りなどもする。のちに日劇に入る。 その後、「ステップイン」というダンサー20名ほどのチームを組んで地方公演や、メトロ、美人座、ユニバースなどでも多数公演する。ダンサー、振付家として個人でも活躍。後にステップインは解散。舞台芸術に関する勉強は全て独学で学んだ。当時、舞台芸術に関する洋書を何冊も読んでいた。 1953年に結婚。2男1女に恵まれる。 1956年に梅田コマ劇場ができて、そのオーディションを受け合格。ダンサー、振付家として活動する。後に演出も手がけるようになる。この頃、浜村美智子の「バナナ・ボート」の振り付け、演出で一世風靡する。OSK(大阪松竹歌劇団)の振付も手がけるようになり、1957年、宝塚歌劇団による日本初のレビュー「モン・パリ」が再演された際に、初めて宝塚歌劇団の振り付けを担当。他にも代表作「ミー・アンド・マイガール」「ガイズ&ドールズ」など、数多くの作品を手がける。また、1974年から15年に渡るロングランとなった、木の実ナナと細川俊之の二人芝居「ショーガール」も全て振付した。 ジャニーズ、フォーリーブス、少年隊、五木ひろし、西城秀樹、「NHK紅白歌合戦」、たのきんトリオの「ブルージーンズ・メモリー」、松坂慶子版の「上海バンスキング」などの振り付けで多くのテレビ、映画で活躍。数々のヒットステージを生む。 1965年から劇団四季でも振付家として活躍し、「アプローズ」「ジーザス・クライスト・スーパースター」「キャッツ」「ミュージカル李香蘭」など数々の劇団四季代表作を手がける。 日本振付家協会会長、日本ジャズダンス芸術協会相談役も務めた。 2007年、大阪市市民功労賞を受賞。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山田卓」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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