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山田 吾一(やまだ ごいち、1933年2月10日〔スタープロフィール 山田吾一 Web版TVスター名鑑〕 - 2012年10月13日)は、日本の俳優・声優。しまだプロダクション所属。 == 来歴・人物 == 北海道瀬棚郡瀬棚町 (久遠郡せたな町) 出身。実家は旅館を営む。北海道深川西高等学校時代に演劇部で活動する。1951年、北海道深川西高等学校高校を卒業し会社員となるも、演劇の道を捨てきれず、1952年上京し、舞台芸術学院本科に入る。同学院卒業後、劇団四季、劇団中芸に所属する。 1958年にはNHKのテレビドラマ『事件記者』にガンさんこと岩見記者役で出演し、猪突猛進型の正義感溢れる記者役を演じた。後に日活制作の映画版『事件記者』シリーズ、東宝制作の『新事件記者』シリーズにも岩見記者役で出演している。 以後もテレビドラマ・映画・舞台で活躍する。1970年代は石立鉄男のコメディドラマの常連としても知られた。1974年の映画『激突! 殺人拳』でも主人公・千葉真一にまとわりつく中国人の相棒をコミカルに演じている。頑固さの中に温かみ、温もりのある頑固親父役など、庶民的で飾らない人物像を演じる一方、そのイメージを逆手に取った悪役なども演じた。 1990年には一人芝居の劇団「吾一座」を旗揚げし、舞台『軽き者の儀・赤穂第四十七士』を上演した。 5歳年下の落語家古今亭志ん朝は親友であった。山田と志ん朝は顔がよく似ていたことで知られ、志ん朝は山田から許可をもらって『山田吾一』という演目の噺を作り、高座で枕や漫談として時折用いていた。志ん朝が記憶に無い人から散々歓迎や激励を受けた挙句、最後の最後になって自分が山田と間違えられていたことが判るというオチであり、志ん朝が生前最後に高座で掛けたのもこれであった。 2012年10月13日、心不全で死去〔テレビドラマ「事件記者」の新聞記者役 俳優の山田吾一さん死去 産経新聞 2012年10月15日閲覧〕。。戒名は放光院禅月悟道居士。俳優として人々に光を当て続けたが、本人は若いときから苦労してきたので仏様が報いるようにという意味である。 長女は元NHKアナウンサーの山田亜樹。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山田吾一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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