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山田宗有 : ミニ英和和英辞書
山田宗有[やまだ そうゆう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [そう, しゅう]
 【名詞】 1. sect 
: [う, ゆう]
  1. (n,vs) possession 

山田宗有 : ウィキペディア日本語版
山田宗有[やまだ そうゆう]

山田 宗有(やまだ そうゆう、本名:山田寅次郎、慶応2年(1866年8月23日〔『明治の快男児トルコへ跳ぶ―山田寅次郎伝』p.213〕 - 昭和32年(1957年2月13日)は、実業家茶人。茶道宗徧流の第8世家元であるが、家元継承以前の山田 寅次郎(やまだとらじろう)の名で実業界でも活躍した。明治25年(1892年)にエルトゥールル号遭難事件の義捐金を届けにトルコに渡って以来、日本とトルコの交流に深く関わった人物としても知られる。
== 生い立ち ==
宗有(寅次郎)は、幕末の慶応2年(1866年)に沼田藩用人・中村雄左衛門(莞爾)の次男として沼田藩の江戸上屋敷で生まれた〔『明治の快男児トルコへ跳ぶ―山田寅次郎伝』pp.70-72〕。中村家は曽祖父の代から家老職を務めていた。8歳まで沼田で生活し、維新後に上京した〔『明治の快男児トルコへ跳ぶ―山田寅次郎伝』p.70〕。明治14年(1881年)に宗徧流家元山田家に養子入りした。宗徧流は、寅次郎が生まれるより以前に6世家元の山田宗学が死去し、その妻が7世を継いで山田宗寿と称していたが、宗学夫妻の間には後を継ぐ子がいなかったため、後継ぎとして寅次郎が迎え入れられたのである。
しかし彼は茶道の家元を若くして継ぐ意志に乏しかったらしく、明治16年(1883年)に家元宗寿が亡くなったあとも家元を襲名せず、進んで言論界に入って陸羯南福地源一郎らと交わった。茶道は高弟の中村宗知に任せていた〔『痛快ぐんまの人物伝』p.55〕。
東京書生として暮らしながら政治活動・出版事業に手を広げ、幸田露伴の処女作を出版社の金港堂に売り込んだこともあった〔(のちに露伴は、友人だった寅次郎をモデルにして、軍艦沈没事件を抜け目なく利用して名を売り、金を集め、日本との貿易事業を画策して海外へ渡った男の話を短編「書生商人」(明治25~26年)としてまとめている〔
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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