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山田 康夫(やまだ やすお、1941年2月15日 - 1990年3月5日)は元NHKチーフアナウンサー。 == 人物 == 山梨県甲府市出身。中央大学法学部を卒業後、1963年入局。同期に森本毅郎(現フリー)がいる。入局の翌年から大相撲の実況中継を晩年まで担当するなど、様々なスポーツの実況中継で活躍した。 当時のNHKアナウンサーとしてはややテンションが高いアナウンスであったが、念入りな下調べに基づいて実況に差し挟まれる情報の正確さや、放送中の機転や気配りで、大相撲実況中継の名アナウンサーとして角界からの信頼も厚かった。昭和最後の場所となった1988年九州場所で、横綱千代の富士が横綱大乃国に敗れ、連勝が53でストップした取組を実況していたアナウンサーはこの人である。 また、山田は草野仁(現:フリー)と共にNHK競馬中継も担当していた。ミスターシービーが三冠馬となった1983年の牡馬クラシックレース(皐月賞、菊花賞)のNHK中継の実況を担当した。 さらに、1988年のソウルオリンピックの男子柔道95kg超級の実況を担当したアナウンサーも山田だった。この階級で斉藤仁が金メダルを獲得した。下記は当時の山田の実況。 「日本有利、日本有利。初の金メダルに10秒を切る、8秒。斉藤行く、斉藤行きます。大変なコール、日本の斉藤のコール。4秒だ、金メダルへ、2秒だ、1秒だ、ブザー!やりました日本斉藤。土壇場、土壇場で踏ん張りました日本柔道。ついに期待の斉藤、95kgで見事に金メダルです。斉藤やりました」 1989年秋場所の大相撲中継を最後に〔生涯最後の実況は大乃国が負け越した一番であった。〕、体調不良のため入退院を繰り返すようになり、翌1990年3月5日、脳内出血のため在職のまま49歳の若さで逝去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山田康夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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