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山田昇 : ミニ英和和英辞書
山田昇[やまだ のぼる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 

山田昇 : ウィキペディア日本語版
山田昇[やまだ のぼる]

山田 昇(やまだ のぼる 、1950年昭和25年)2月9日 - 1989年平成元年)2月24日〔日本日付。現地日付では2月23日。いずれも推定日付。〕〔『史上最強の登山家 山田昇』 読売新聞社編 1989年10月2日 p.75〕)は、日本のヒマラヤ登山家群馬県沼田市出身。8000メートル峰14座のうち9座に12回登頂し、その多くを冬季や、未踏の難ルートからの登攀で達成している。8000メートル峰9座登頂は、名塚秀二田辺治近藤和美と共に、全14座達成の竹内洋岳に次ぐ日本人2位の記録〔竹内洋岳さん、日本人初の8000メートル14座制覇へ出発(スポーツ報知) 〕〔日本人初の快挙、8000m峰14座登頂 竹内洋岳 、日本経済新聞 2012年5月26日〕。冬季マッキンリー登攀中に、不慮の遭難死を遂げる。
山田昇記念杯にその名を残し、生家には記念館としてゆかりの品が保管されている。
== 略歴 ==

* 1950年2月9日 - 群馬県沼田市に生まれる。
* 1962年 - 沼田市立利南東小学校卒業。
* 1965年 - 沼田市立利南中学校卒業
* 1967年 - 高校2年生のとき沼田高校山岳部に入部。
* 1968年 - 群馬県立沼田高等学校を卒業。
 * 高校卒業後、沼田山岳会に入会。
* 1969年3月 - 群馬県立前橋職業訓練校電気科卒業。
 * 4月 - 電気工事士として川崎市内の株式会社池貝鉄鋼に入社すると同時に小西政継山学同志会に入会するが、1年足らずで退会。
* 1970年 - 沼田山岳会に戻る。
* 1975年 - 群馬県山岳連盟海外登山研究会入会、ラトック山群にトレッキングに赴く。
* 1976年 - 谷川スキーで大腿骨骨折。池貝鉄鋼を退職。
* 1978年秋 - ダウラギリI峰(未踏ルート/8,167m/ネパール)初登頂。小暮勝義ら4名が遭難。
* 1980年10月2日 - ケダルナートドーム(6,831m/インド)登頂(尾形好雄田部井淳子
* 1981年5月9日 - カンチェンジュンガ主峰(8,586m/ネパール)〔西峰(ヤルン・カン、8,505m)にも縦走登頂している。〕登頂(藤倉和美片岡邦夫、鈴木茂)。
 * 秋 - ランタンリ(未踏峰/7,239m/ネパール)初登頂(植松秀之)。
* 1982年10月18日 - ダウラギリI峰(未踏ルート/8,167m/ネパール)初登頂(小松幸三斉藤安平)。
 * 冬 - マナスルで隊員1名が遭難し、登頂を断念。
* 1983年10月9日 - ローツェ(8,516m/ネパール)登頂(高橋和之)。
 * 12月16日 - エベレスト(8,848m/ネパール)登頂(尾崎隆、村上和也)。
  * ※ローツェ、エベレストで登攀隊長を務め、世界的ヒマラヤ登山家としての評価を固める。
* 1984年春 - 結婚。
 * 夏 - マモストンカンリ(未踏峰/7,543m/インド)登頂(尾形好雄)。
 * 冬 - アンナプルナI峰登頂失敗。
* 1985年夏 - K2(8,611m/パキスタン)無酸素登頂。
 * 11月3日 - エベレスト(8,848m/ネパール)無酸素登頂。映画『植村直己物語』撮影隊の一員として(八木原圀明阿久津悦夫木本哲名塚秀二三枝照雄佐藤光由)。
 * 12月14日 - マナスル(8,163m/ネパール)無酸素登頂(斉藤安平)。
* 1986年夏 - モンブラン登頂。
 * - 2年半で離婚。
* 1987年春 - マッキンリー(6,194m/アメリカ)登頂。
 * 12月20日 - アンナプルナI峰(8,091m/ネパール)登頂(斉藤安平、小林俊之、三枝照雄)。下山途中、小林・斉藤が滑落死亡。
* 1988年5月5日 - チョモランマ・サガルマータ三国合同交差縦走隊に参加し、登頂(縦走隊員:ツェリン・ドルジ〈中国〉、アン・ハクパ〈ネパール〉、TV隊員:山本宗彦中村進三枝照雄)。
 * この様子は日本テレビ開局35周年記念特番『チョモランマがそこにある!』で山頂から生中継されたが、山田ら縦走隊3人のペースが予想外に速かったことと、TV撮影隊員の出発・到着が大きく遅れたために山頂で1時間も待機したが、頂上で落ち合えず中継されたのはTV隊の3人だけだった。
 * その後、1年間で5大陸最高峰登頂を目指し、6月10日にマッキンリー(6,194m/アメリカ)登頂。ヨーロッパ・アルプスに向かい、7月モンブラン(4,807m/フランス)などを登頂した後、9月5日に大西宏アコンカグア登頂。別れた後は9月16日にアフリカ大陸の最高峰キリマンジャロ登頂。
 * 秋 - シシャパンマ(8,027m/チベット)、チョ・オユー(8,188m/チベット)無酸素登頂。8000m峰9座12回登頂。
* 1989年2月7日 - モンブラン冬季単独登頂。
 * 2月16日 - 小松幸三三枝照雄と3人でマッキンリーへのアタックを開始。
 * 2月20日 - アタックキャンプに入る。
 * 2月21日-22日 - 悪天候のため、アタックキャンプにとどまる。
 * 2月23日 - 山頂に向かうが、行方不明に。3週間後に、約5200m地点でアンザイレンした3人の遺体が発見・収容される。
* 1990年 - 功績を称え、生家のある沼田の名峰武尊山において、山田昇記念杯登山競争大会が毎年9月の最終日曜日に開催されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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