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山田暢久 : ミニ英和和英辞書
山田暢久[やまだ のぶひさ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 

山田暢久 : ウィキペディア日本語版
山田暢久[やまだ のぶひさ]

山田 暢久(やまだ のぶひさ、1975年9月10日 - )は、静岡県藤枝市出身の元サッカー選手ポジションディフェンダーミッドフィールダー1994年の入団以来、浦和レッズ一筋でプレーしたバンディエラである。山田智紀は元プロサッカー選手。
==来歴==
1994年に藤枝東高校から浦和レッドダイヤモンズに入団。デビュー当時はフォワード福田正博と2トップを組むこともあったが、1995年以降は主に右サイドバックや右ウイングバックとしてプレーしている。その他にもトップ下、ボランチ、センターバックなど、ゴールキーパーを除くあらゆるポジションで起用される。
2003年は日本代表の右サイドバックに定着した。チームでも右ウイングバックのレギュラーを守り、ナビスコカップ優勝で自身初のタイトルを獲得した。
2004年は1stステージでは右ウイングバック、山瀬功治が負傷で戦線離脱した2ndステージではトップ下として活躍。2ndステージを制して最後のステージ優勝をキャプテンとして飾ったが、チャンピオンシップでは横浜F・マリノスに敗れた。
2005年8月24日ヴィッセル神戸戦(駒場)でJ1リーグ300試合出場を達成。20代ではリーグ初。
2006年は序盤こそ定位置の右サイドで出場していたが、夏場にコンディションを落として控えに回った。しかし、途中出場で決勝点を決めた9月16日サンフレッチェ広島戦以降、トップ下の一角としてレギュラーに復帰。自己最多の6得点を挙げて優勝に貢献した。
2007年は再び右ウイングバックに戻された。10月29日名古屋グランパス戦で肉離れを起こすまではリーグ戦、ACL、ナビスコカップなどの公式戦のほとんど全てに先発出場した。4月7日ジュビロ磐田戦(埼玉スタジアム)でJ1リーグ350試合出場を達成。この記録はJ1最年少記録。
2008年は開幕戦から数試合はトップ下を任され、その後はボランチや右ウイングバックとして出場した。10月19日に行われた神戸戦では初めて左サイドバックでスタメン出場するが、後半開始から右サイドバックにポジションを替えた。11月8日コンサドーレ札幌戦(札幌ドーム)で史上3人目となる、J1リーグ400試合出場を達成。
2009年はチームが8シーズンぶりに4バックを採用する中で、右サイドバックのレギュラーを確保する。また、田中マルクス闘莉王が抜けたナビスコカップ予選では、坪井慶介と共にセンターバックとしてもプレーした。
2010年田中マルクス闘莉王が名古屋に移籍したため、開幕戦からセンターバックで出場。夏場にスピラノビッチが復帰して以降もセンターバックとして出場した。
2011年は開幕当初はセンターバック、東日本大震災での中断明けからは主にボランチ、終盤戦は左右のサイドバックとして出場し、さまざまなポジションで貴重な戦力として活躍した。
2012年途中出場が続いていたが、怪我により長期離脱を強いられる。終盤、永田充が右太もも裏の肉離れから長期離脱を余儀なくされ、センターバックとしてスタメンに入り3位浮上に大きく貢献した。
2013年4月27日の清水エスパルス戦でデビューから20年目を迎えた。Jリーグで1チームで在籍20年目を迎えるのは史上初、海外でもGKを除くフィールドプレイヤーで1チーム在籍20年を超える選手は、フランチェスコ・トッティライアン・ギグス他数人しかいない。奇しくも静岡県草薙総合運動場陸上競技場で行われたデビュー戦と同一カードとなった。これを記念し、当日は山田暢久20thアニバーサリーが行われた。
5月11日の鹿島アントラーズ戦に83分から途中出場し、今季リーグ戦初出場した。
10月27日柏レイソル戦に途中出場し、伊東輝悦楢崎正剛に次ぐJリーグ通算500試合出場を達成した。
同一チーム在籍20年を迎えた選手の500試合出場はJリーグ初の快挙である。
2013年シーズン限りで契約満了に伴い、現役を引退した。バンディエラ(フランチャイズ・プレイヤー、ワン・クラブ・マン)歴21年間は“ミスター・レッズ”福田を超えチーム最長。2014年末、Jリーグ功労選手賞を受賞。
引退後は浦和のクラブスタッフとなり、2015年現在、ユースチームのサポートコーチを務める。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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