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山田 有徳(やまだ ありのり、生没年不詳)は戦国時代の武将で、薩摩国島津氏の家臣。通称は蔵人。父は山田有親。母は市来家親の娘。妻は町田忠林の娘。子は山田有信。 山田有親の長男として誕生する。父の有親は天文年間の初め頃に薩州島津家の島津実久に与して島津忠良・島津貴久父子に反目、天文2年(1533年)に降伏したものの二心を疑われて切腹に処された。忠良はそれを後悔し、有徳に山田氏の本貫地である日置郡山田を継がせた。 有徳は貴久の家臣として活躍、大隅国宮之浦での合戦の際は、鼻の左に刀傷を負いながらも太刀始め(島津氏に於ける一番太刀)となった。弘治元年(1555年)の蒲生北村城攻めでも功を上げ市来(現・鹿児島県いちき串木野市)の地頭に、更に串木野地頭に任じられた。しかし、串木野に居を移して間もなく病にかかり、本貫地である山田で養生したものの5月25日(年度不明)に病死した。法名は「天室昌祐庵主」。 ==参考文献== *『本藩人物誌』 鹿児島県史料集(13)(鹿児島県史料刊行委員会) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山田有徳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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