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山田済斎 : ミニ英和和英辞書
山田済斎[やまだ せいさい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [すみ]
 【名詞】 1. arranged 2. taken care of 3. settled
: [とき]
 【名詞】 1. meals exchanged by parishioners and priests 

山田済斎 : ウィキペディア日本語版
山田済斎[やまだ せいさい]
山田 済斎(やまだ せいさい、慶応3年11月23日1867年12月18日) - 昭和27年(1952年11月21日)は、日本漢学者、陽明学者、教育者。
二松学舎専門学校の初代校長、二松学舎名誉学長、大東文化学院名誉教授を務める。幼名は鎨三郎、本名は準、は士表、済斎はで正しくは濟齋である。
== 略歴 ==

* 1867年(慶応3年:0歳) - 11月23日、備中松山藩甲賀町(現・岡山県高梁市)に木村豊の三男として生れる。
* 1869年(明治2年:2歳) - 父の木村豊が没する。享年54。
* 1873年(明治6年:6歳) - 4月、高梁小学校に入学。
* 1880年(明治13年:13歳) - 4月、高梁小学校を卒業。漢学塾の有終館に入学。
* 1883年(明治16年:16歳) - 上京し、漢学塾の二松学舎に入学。
* 1884年(明治17年:17歳) - 3月、山田方谷の嗣子・耕造(知足斎)の長女である春野と結婚。山田家を相続。8月、東京帝国大学文科大学古典講習科漢書課に合格。
* 1888年(明治21年:21歳) - 7月、古典講習科を卒業。12月、二松学舎本科高等部全課を卒業。師匠の三島中洲から済斎の号を授かる。
* 1893年(明治26年:26歳) - 城北中学の講師になる。
* 1896年(明治29年:29歳) - 4月、陸軍参謀本部編集補となる。
* 1899年(明治32年:32歳) - 10月、熊本の第五高等学校の教授(漢文科主任)となる。
* 1901年(明治34年:34歳) - 鹿児島の第七高等学校造士館の教授になる。
* 1917年(大正6年:50歳) - 2月、勲五等瑞宝章を受ける。
* 1919年(大正8年:52歳) - 1月、正五位に叙せられる。
* 1922年(大正11年:55歳) - 12月、二松学舎名誉教授となる。
* 1924年(大正13年:57歳) - 7月、従四位に叙せられる。
* 1926年(大正15年:59歳) - 正四位勲四等に叙せられる。
* 1927年(昭和2年:60歳) - 1月、二松学舎の学長に招聘される。
* 1928年(昭和3年:61歳) - 4月、二松学舎専門学校の校長となる。大東文化学院の教授を兼任する。
* 1939年(昭和14年:72歳) - 9月、東洋大学の講師を兼任する。
* 1940年(昭和15年:73歳) - 11月、勲三等瑞宝章を受ける。
* 1943年(昭和18年:76歳) - 3月、全ての職を退き、二松学舎名誉学長、二松学舎専門学校名誉校長、大東文化学院名誉教授となる。
* 1951年(昭和26年:84歳) - 『山田方谷全集』を刊行。
* 1952年(昭和27年:85歳) - 11月21日没する。先瑩の方谷園(高梁市中井町西方)に葬られる〔中田勝「中洲・済斎・惇斎の学脈」(『陽明学』〈第8号 山田済斎特集号〉)、77頁〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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