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山田 秀典(やまだ ひでのり、1836年(天保7年)〔『明治過去帳』新訂初版、157頁。『新編日本の歴代知事』94頁では「天保6年2月」、『青森県百科事典』923頁では「天保2年」。〕 - 1882年(明治15年)1月6日〔)は、幕末の熊本藩士、明治期の内務官僚。青森県令。幼名・平太〔『明治過去帳』新訂初版、157頁。〕、平兵衛〔『新編日本の歴代知事』94頁。〕。 ==経歴== 熊本藩士の家に生まれた〔。 維新政府の十三等出仕となる〔。明治4年8月(1871年)、内務省土木寮・土木権頭に就任〔「官員全書 その2 明治壬甲5月」〕。1873年11月、新川県権令に転じ、同県令に昇進。 1876年8月、青森県令に就任〔。産業振興に尽力し、国内各地から馬耕教師(熊本県)、養蚕教師(福島県)、藍教師(高知県)、麻教師(栃木県)、製紙教師(長野県)などを招いて実際の指導を行わせた〔『青森県百科事典』923頁。〕。また、自由民権派と保守派の一致協力を推進しようとするが、保守派の反発を招き郡長辞任などで抵抗を受けた〔〔。1882年1月、県政報告のため滞在していた東京で死去した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山田秀典」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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