|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 山 : [やま] 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point ・ 田 : [た] 【名詞】 1. rice field
山田醇(やまだ じゅん、1884年 - 1969年)は、日本の建築家。独立後は住宅作家としての道を歩み、和洋折衷住宅を発展させる。子息の病をきっかけに、健康住宅を研究し提唱した。設計した住宅は現在でも各地に現存している。埼玉県秩父市金崎生まれ。 ==経歴== 実家は信用組合を経営。旧制熊谷中学校、学習院を経て、1908年(明治41年)、東京帝国大学造船学科入学。1年後に転科。1912年(明治45年)、東京帝国大学工学部建築学科卒業。同窓の竹腰健造、西村好時、山下寿郎、吉田享二、渡辺仁らで、苺会を結成。辰野葛西事務所に入り、第一相互館(1921年)の設計に加わる。直営実費積算法を開発、これにより川崎芳太郎の知遇を得、1917年(大正6年)11月に神戸で独立。川崎家の仕事を多く引き受けている。 1922年(大正11年)東京に移転。関東大震災を挟み、1924年(大正13年)自邸兼事務所竣工。 その後小住宅の依頼により満州新京に出かけるが、戦時中『東京日日新聞』上で、質材統制の不適正を批判し廃業宣言を行う。その後強制疎開により郷里に移転する。戦後田園調布に一時期住み、「保健住宅研究所」開設。 代表作に、須磨川崎家別荘洋館、閑院宮家(1936年)小田原閑院宮家(1961年)や醍醐侯爵邸、徳川侯爵邸、1930年代に興津別荘地W氏邸とA氏邸(旧五島邸)、津田邸などの別荘、世田谷・築山家住宅(登録有形文化財)、藤井助之丞が施工した高岡市の洋風住宅(1927年)。埼玉県秩父にある宮前家住宅表門と奥の母屋(1930年、和洋折衷、登録有形文化財)、伊東家(旧松下家、富山、登録有形文化財)など。 著書に、『これからの健康住宅』(毎日新聞社、1960年)、『家の建て方』(誠文堂、1935年)、『住宅建築の實際』(新光社、1932年)、『保健住宅』(誠文堂新光社、1939年)、『家を建てる人の為に』(資文堂書店、1928年)など多数。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山田醇」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|