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山田 隆也(やまだ たかや、1890年7月31日 - 1978年6月8日〔山田隆也 、『講談社 日本人名大辞典』、講談社、コトバンク、2010年1月5日閲覧。〕)は、日本の俳優である。本名は横川 唯治(よこかわ ただはる)、第二次世界大戦前は山田 隆弥(やまだ たかや)と名乗った〔。 == 人物・来歴 == 1890年(明治23年)7月31日、埼玉県に生まれる〔。 文芸協会の坪内逍遥に師事し、1909年(明治42年)、坪内が自宅に設立した演劇研究所の第1期生となる〔。松井須磨子、佐々木積らの同期に当たる。 1913年(大正2年)10月、佐々木積、森英次郎、岡田嘉子らと新劇の劇団「舞台協会」を設立する〔〔第三章 演劇の目覚めと展開 、近代日本の道程、竹中一男、2010年1月5日閲覧。〕。岡田と共演した『出家とその弟子』で名声を得る〔。 1923年(大正12年)、「向島新派」で知られる日活向島撮影所が改革を図り、舞台協会と出演提携する〔『日本映画発達史 1 活動写真時代』、田中純一郎、中公文庫、1975年11月25日 ISBN 4122002850、p.363-366.〕にあたり、3本の提携作のほか、2作に出演する〔山田隆弥、日本映画データベース、2010年1月5日閲覧。〕。同撮影所は同年9月1日の関東大震災で崩壊、京都に全面移転した〔『日本映画発達史 1 活動写真時代』、p.374.〕。舞台協会は西宮に移転、東亜キネマ甲陽撮影所製作の映画に出演する〔。 1928年(昭和3年)には、牧野省三率いるマキノ・プロダクションにおいて、牧野の長男・マキノ正博(のちのマキノ雅弘)が所長を務める名古屋撮影所で、鈴木重吉監督の『田中宰相の少年時代』に出演〔、同年、同社の御室撮影所が製作した『肉弾決笑記』で初監督を果たす〔。 松竹家庭劇に参加する〔。1936年(昭和11年)、京都の宗教団体である一燈園の劇団「すわらじ劇園」に参加する〔。 1978年(昭和53年)6月8日、死去した〔。満87歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山田隆也」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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