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山県 昌満(やまがた まさみつ、生年未詳 - 天正10年(1582年)3月)は、戦国時代の武将。甲斐国武田氏の家臣で譜代家老衆。山県昌景の子である。通称は源四郎、官途名は三郎見日兵衛尉。天正6年(1578年)の駿河大宮浅間神社神馬奉納帳に記載される山県源八郎は兄弟であると考えられている〔平山(2008)、p.340〕。また、父の昌景は足軽大将の三枝昌貞(守友)を養子としている〔平山(2008)、p.340〕。 == 略歴 == 父の昌景は飯富氏の出自で、永禄9年頃に山県氏の名跡を継いでいる。昌景は信玄の側近で、朱印状奏者として内政面に携わる一方で、取次を務めるなど外交面での活動が見られる〔平山(2008)、p.340〕。昌景は元亀2年に駿河国江尻城代として東海地方の支配を担当していたが、天正3年(1575年)5月の長篠の戦いにおいて討死し、昌満が家督を継いだ。なお、長篠合戦では三枝昌貞も戦死している〔平山(2008)、p.321〕。 三村氏や孕石氏など昌景の同心を受け継いでいることが確認されるが、江尻城代は河内領主の穴山信君に交替しており、昌満は同年から駿河田中城代に転じ遠江方面の防備に従している。 『信長公記』に拠れば天正10年(1582年)3月、織田信長の甲州征伐によって捕縛され処刑された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山県昌満」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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