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山里忠徳 : ミニ英和和英辞書
山里忠徳[やまざと ただやす]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
山里 : [やまざと, やまさと]
 (n) mountain hamlet (village)
: [り]
 【名詞】 1. ri (old measure) 2. 2. 44 miles 

山里忠徳 : ウィキペディア日本語版
山里忠徳[やまざと ただやす]
山里 忠徳(やまざと ただやす、1848年嘉永元年) - ?)は、日本の武士武術家流派東軍新刀流剣術宝蔵院流高田派槍術一心流薙刀術日置流弓術。特に剣術槍術で有名であった。
== 経歴 ==
幕臣の山里建之助の子として江戸で生まれる。生家は東五軒町(東京市牛込区東五軒町)。
1877年(明治10年)、巡査として西南戦争に従軍。戦後、警視庁撃剣世話掛に就任した。1888年(明治21年)6月時点の階級警部補で、本郷警察署勤務〔『警視庁武道九十年史』24頁、警視庁警務部教養課〕。
その後、宮内省学習院旧制第一高等学校などで剣術を指導した。
1918年(大正7年)、旧制第一高等学校の撃剣部(剣道部)で、宝蔵院流高田派槍術と一心流薙刀術を指導した。これにより、宝蔵院流高田派槍術と一心流薙刀術は失伝を免れ、現在まで残っている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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