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山里 忠徳(やまざと ただやす、1848年(嘉永元年) - ?)は、日本の武士、武術家。流派は東軍新刀流剣術、宝蔵院流高田派槍術、一心流薙刀術、日置流弓術。特に剣術と槍術で有名であった。 == 経歴 == 幕臣の山里建之助の子として江戸で生まれる。生家は東五軒町(東京市牛込区東五軒町)。 1877年(明治10年)、巡査として西南戦争に従軍。戦後、警視庁撃剣世話掛に就任した。1888年(明治21年)6月時点の階級は警部補で、本郷警察署勤務〔『警視庁武道九十年史』24頁、警視庁警務部教養課〕。 その後、宮内省、学習院や旧制第一高等学校などで剣術を指導した。 1918年(大正7年)、旧制第一高等学校の撃剣部(剣道部)で、宝蔵院流高田派槍術と一心流薙刀術を指導した。これにより、宝蔵院流高田派槍術と一心流薙刀術は失伝を免れ、現在まで残っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山里忠徳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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