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山野辺 義堅(やまのべ よしかた)は、江戸時代前期の水戸藩家老。 == 生涯 == 元和元年(1615年)、山野辺義忠の次男として山野辺城にて生まれる。最上騒動で最上家が改易されたため、元和7年(1621年)父義忠・兄義致、近臣らとともに岡山に幽閉される。 のちに寛永10年(1633年)父らが許されるとともに徳川頼房に召し抱えられ水戸藩家老となり、水戸藩に仕える。その際、19歳で父の本禄1万石のうち千石を分知され、小姓頭に準じられた。 寛永12年(1635年)書院番頭。寛永16年(1639年)大番頭。明暦2年(1656年)兄義致が没したため嫡子となり、禄3千石。翌年3月に家老となった。寛文元年(1661年)、主君頼房の娘利津姫を娶る。寛文2年(1662年)従五位下に叙され、土佐守を称す。 寛文3年(1663年)4月には霊元天皇即位に際し京に使者として赴き、同9月父の隠居にともない家督相続。禄1万石。世襲後6年、寛文9年(1669年)没。55歳。 子女はなく、熊本藩細川家の家老楯岡忠直の子、 義清を妹岩の婿に迎えて養子とした。父義忠の叔父、楯岡光直の孫にあたる。 ちなみに『水府系纂』第45巻には、義堅の正室が安島七郎衛門信久なる者を水戸藩士として推挙したとある。後にこの子孫から幕末の水戸藩家老安島帯刀が出る〔財団法人水府明徳会彰考館蔵『水府系簒』第45巻〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山野辺義堅」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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