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山野辺 義質(やまのべ よしもと)は、江戸時代後期の水戸藩家老職。6代藩主徳川治保の甥。 == 生涯 == 天明元年(1781年)、松平保受(もりつぐ、5代藩主徳川宗翰の七男)の子・友三郎として江戸に生まれる。父・保受は他家に養子入りすることなく天明5年(1785年)に没している。 寛政3年(1791年)、代々家老の山野辺義風が嗣子なく病没したため、藩主治保は11歳の友三郎を山野辺氏の養子とした。家督相続とともに1万石を与えられる。寛政9年(1797年)に家老となり、従五位下、主水正を称する。家老在任は40年におよび、飢饉や藩の財政悪化、異国船来航など、国内・藩内の情勢の変化が著しかった時期であった。 文政12年(1829年)、8代藩主斉脩が嗣子なく病重篤になるにおよび継嗣問題が起きるが、このとき義質の長男・義観が敬三郎(後の斉昭)擁立派の頭首となったため、斉昭時代に重用されることとなった。義質の娘・直は斉昭の側室となり、義質の孫の義正には斉昭の三女・祝姫が嫁ぎ、重縁の間柄となった。 天保7年(1836年)、隠居して剃髪し常徳斎と号し、隠居料50人扶持を与えられた。天保11年(1840年)、60歳にて助川海防城内に死去した。斉昭より僖子の諡号が与えられた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山野辺義質」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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