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山鹿高祐 : ミニ英和和英辞書
山鹿高祐[さんろく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
鹿 : [しか]
 【名詞】 1. deer 
: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 

山鹿高祐 ( リダイレクト:山鹿素行 ) : ウィキペディア日本語版
山鹿素行[やまが そこう]

山鹿 素行(やまが そこう、元和8年8月16日1622年9月21日) - 貞享2年9月26日1685年10月23日))は、江戸時代前期の日本儒学者軍学者山鹿流兵法及び古学派の祖である。高祐(たかすけ)、また義矩(よしのり)とも。は子敬、通称は甚五右衛門。因山、素行とした。
== 経歴 ==
陸奥国会津福島県会津若松市)にて浪人・山鹿貞以(山鹿高道とも〔斎藤『山鹿素行』1頁 、田制『山鹿素行』1頁 『山鹿温泉誌』40頁 〕)の子として生まれる〔出自については、筑前遠賀郡山鹿とも、肥後山鹿ともいう(斎藤『山鹿素行』4頁 、田制『山鹿素行』1頁 )。後者につき詳しい文献として『鹿本郡誌』572頁 『山鹿温泉誌』40頁 。〕。寛永5年(1628年)に6歳で江戸に出る。寛永7年(1630年)、9歳のとき大学頭を務めていた林羅山の門下に入り朱子学を学び、15歳からは小幡景憲北条氏長の下で軍学を、廣田坦斎らに神道を、それ以外にも歌学など様々な学問を学んだ。
朱子学を批判したことから播磨国赤穂藩へお預けの身となり、そこで赤穂藩士の教育を行う。赤穂藩国家老大石良雄も門弟の一人であり、良雄が活躍した赤穂事件以後、山鹿流には「実戦的な軍学」という評判が立つことになる〔なお、赤穂事件を題材にした歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』や『忠臣蔵』の映画・ドラマには「一打ち二打ち三流れ」という「山鹿流の陣太鼓」が登場するが創作であり、実際の山鹿流軍学にはそうした陣太鼓の奏法は存在しない。〕。
寛文2年(1662年)頃から朱子学に疑問を持つようになり、新しい学問体系を研究し、寛文5年(1665年)、天地からなる自然は、人間の意識から独立した存在であり、一定の法則性をもって自己運動していると考えた。この考えは、門人によって編集され『山鹿語類』などに示されている。
延宝3年(1675年)、許されて江戸へ戻り、その後の10年間は軍学を教えた。その教えは、後代の吉田松陰などに影響を与えている。
貞享2年(1685年)死去。墓所は東京都新宿区弁天町1番地の曹洞宗宗参寺にある〔宗参寺 山鹿素行の墓 牛込氏の墓 - 新宿区観光協会 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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