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岐阜車体工業株式会社(ぎふしゃたいこうぎょう、)とは、トヨタ車体グループに属する自動車組み立てメーカーである〔加藤真人 (2014年8月12日). “ぎふ財界人列伝 出会いとともに プロローグ(1)「多種少量生産」で成長”. 岐阜新聞 (岐阜新聞社)〕。 == 歴史・概要 == === 設立から岐阜県内唯一のトラックメーカーへ === 十六銀行柳ケ瀬支店の川合利之支店長の紹介で知り合った星野鍵太郎と川島信雄、野尻藤吉が協力し、1940年(昭和15年)10月1日に「岐阜車体工業株式会社」を設立したのが始まりである〔。 この創業者3名のうち、野尻藤吉は野尻自動車工場、川島信雄は川島ボデー製作所を経営しており、共に当社創業以前からトラックの車体の製造や修理を手掛けていたが、1936年(昭和11年)に公布・施行された「自動車製造事業法」で自動車製造が政府の許可制になり、軍用トラックの生産拡大のために企業合同による再編を進めて自動車産業を育成することが国策とされたことから、事業を統合することになったものである〔。 ただし、3人の中で最年長であったことから初代社長に就任したとされる星野鍵太郎は、鉄骨工事と軍の砲弾を旋盤で加工する鉄工所の経営と唯一人の車体製造未経験者であった〔。 設立時の資本金は15万円で本社を岐阜市長森岩戸に置くことになったが、創業時の従業員は社長などの経営陣を含めてもわずか23名であった〔。 なお、当社設立後も、社長の星野鍵太郎は自分の会社「星野商店」(後の星野鋼機)を別の企業として経営し続けた〔。 設立から半年もたたない1941年(昭和16年)3月には岐阜市祈年町に月産30台の能力を持つ本社工場を完成させ、トラックの車体を一貫製造する体制を構築し、同年には従業員45名で320台のトラック車体を生産した〔加藤真人 (2014年8月14日). “ぎふ財界人列伝 出会いとともに プロローグ(3)第2のスタート(上)不良品続出、経営火の車”. 岐阜新聞 (岐阜新聞社)〕。 さらに、1943年(昭和18年)には同じ岐阜市内の二軒屋(現・金園町)にあった岐阜合同車体を吸収合併して第2工場とし、岐阜県内唯一の車体メーカーとなった〔。 こうして岐阜県内では唯一のトラック車体メーカーとなり、KC型と呼ばれる軍用トラックの運転台や荷台といったボディーの製造を行ったが、鋼材不足の深刻化と共に運転台などは大半を木材で作ることになった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岐阜車体工業」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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