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岐阜電気株式会社(ぎふでんき)は、明治末期から大正にかけて存在した日本の電力会社である。岐阜県岐阜市を本拠としていた。 岐阜電気は、1894年(明治27年)に開業した岐阜県で最初の電力会社岐阜電灯株式会社(岐阜電燈、ぎふでんとう)を母体に、同社の事業を引き継いで1907年(明治40年)に発足した。揖斐川支流の粕川に水力発電所を建設し、現在の岐阜市のほか大垣市、羽島市などの地域に電気を供給した。1921年(大正10年)に愛知県名古屋市を地盤とする名古屋電灯と合併して消滅。名古屋電灯の後身で昭和期の大手電力会社東邦電力の前身の一つでもある。 == 沿革 == === 岐阜電灯設立と開業 === 岐阜電気の前身である岐阜電灯株式会社は、1894年(明治27年)7月28日、岐阜市内において電灯の供給を開始して開業した〔『岐阜市史』通史編 近代、p.280〕。1889年(明治22年)に愛知県名古屋市で開業した名古屋電灯、1894年4月に同県豊橋町(現・豊橋市)で開業した豊橋電灯に続いて東海地方では3番目の電灯会社である〔『中部地方電気事業史』上巻、p.23〕。 岐阜電灯の設立は1894年で、日清戦争期の会社設立ブームの最中であった。発起人8人のうち、初代社長に就任した梅田信明が元岐阜県財務課長で、残る7人は2代目社長となる6代目岡本太右衛門(定景〔「岐阜電気と十三代岡本太右衛門」、p.70〕)ら岐阜市内在住の商人・資産家である〔『岐阜市史』通史編 近代、pp.328-329〕。会社設立には発起人のほかにも名古屋電灯の技術者丹羽正道や、岐阜県随一の富豪といわれた十六銀行頭取渡辺甚吉も参加している〔『中部地方電気事業史』上巻、pp.26-27〕。 岐阜県内では岐阜電灯の開業に先立つ1894年2月に、吉城郡船津町(神岡町を経て現・飛騨市)にあった三井鉱山役員宅で電灯が点灯し、県内で初めての電灯点灯事例となっていた。とはいえ岐阜市における岐阜電灯の開業は一般供給として県内で初めての事例である。当時電灯は珍しがられ、市内今川町に設置された発電所には見物人が多数押し寄せたという。開業から10年ほど経た日露戦争の後、電灯の普及が本格的に進んでいった〔。 開業当初は小規模火力発電で発電していた。まず開業にあわせて、今川町第一発電所が出力50キロワットで1894年7月に運転を開始する。1901年(明治34年)には、同発電所の出力を130キロワットに増強した〔『中部地方電気事業史』下巻、p.338〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岐阜電気」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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