|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 岡 : [こう, おか] 【名詞】 1. hill 2. height 3. knoll 4. rising ground ・ 内 : [うち] 【名詞】 1. inside ・ 俊 : [じゅん] 【名詞】 1. excellence 2. genius
岡内 重俊(おかうち しげとし、1842年5月11日(天保13年4月2日 〔)- 1915年(大正4年)9月20日〔『明治時代史大辞典 第一巻』378頁。〕〔『大正過去帳 物故人名辞典』73頁・『海を越えた日本人名事典』新訂増補184頁では「9月19日」。〕)は、幕末の土佐藩士、明治期の司法官僚・政治家。元老院議官、貴族院勅選議員、男爵、錦鶏間祗候。通称・俊太郎〔。 ==経歴== 土佐国土佐郡潮江村(現高知県高知市潮江)で、土佐藩士・岡内清胤、鹿子夫妻の長男として生まれる〔〔『平成新修旧華族家系大成』上巻、335頁。〕。土佐藩の横目職を務めた〔『幕末維新大人名事典』上巻、290頁。〕〔『海を越えた日本人名事典』新訂増補、184頁。〕。その後、海援隊に加わり坂本龍馬の秘書役を務め〔〔、土佐藩の武器調達に尽力〔〔。 明治維新後、新政府に出仕し、明治2年2月15日(1869年3月27日)刑法官鞫獄判司事に任じられた〔『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 下巻』145-150頁。〕。以後、鞫獄副知判司事、徴士・鞫獄司知事、刑部大解部、刑部少判事、刑部中判事、司法少判事、司法権中判事を歴任〔。 岩倉使節団に理事官として参加した佐々木高行司法大輔の随行を命ぜられ、明治4年11月12日(1871年12月23日)横浜港を出港し、欧米各国を巡行して1873年3月13日に帰国した〔。 1873年3月15日、司法権大検事に就任。以後、判事、長崎上等裁判所長、大審院刑事局詰、高等法院陪席裁判官などを歴任した〔〔。 1886年5月10日、元老院議官に任じられ、1890年9月29日、貴族院議員に勅選され〔〔、死去するまで在任〔『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』107-108頁。〕。同年10月20日、元老院が廃止され議官を非職となり錦鶏間祗候を仰せ付けられた〔。1900年5月9日、男爵を叙爵した〔〔『官報』号外、明治33年5月9日。〕。立憲政友会に属して活動した〔〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岡内重俊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|