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岡山臨海鉄道 : ミニ英和和英辞書
岡山臨海鉄道[おかやま]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こう, おか]
 【名詞】 1. hill 2. height 3. knoll 4. rising ground
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
臨海 : [りんかい]
 【名詞】 1. coastal 2. seaside 
: [てつ]
 【名詞】 1. iron 
鉄道 : [てつどう]
 【名詞】 1. railroad 

岡山臨海鉄道 ( リダイレクト:岡山臨港鉄道 ) : ウィキペディア日本語版
岡山臨港鉄道[おかやまりんこうてつどう]


岡山臨港鉄道(おかやまりんこうてつどう)は、かつて岡山県岡山市大元駅岡山港駅を結んでいた鉄道路線1951年(昭和26年)8月1日に鉄道運輸事業を開始し、1984年(昭和59年)12月30日に廃止された。同社を前身とする株式会社岡山臨港の資料〔株式会社岡山臨港沿革 〕によれば、設立以来の法人商号岡山臨港鐵道株式会社であった。
== 概要 ==
太平洋戦争末期、国有地であった干拓前の旧堤防を活用して宇野線岡南(こうなん)地区の軍需工場を結ぶ鉄道線が着工された。本来は専用鉄道規程に基づく専用鉄道(延長3キロ以上の専用線)であるものの、官庁手続きが簡便な側線と見なすことで着工を迅速化する戦時特例の「特殊専用側線」制度が利用された。工事は終戦で中断し一時放置されたが、岡南地区にあった汽車製造岡山製作所の資材・製品車両搬出用として工事を再開し、1947年(昭和22年)に開通。国鉄広島鉄道局岡山管理部が運行管理を所管し、岡山駅から国鉄の客車列車が1日1往復した。
1950年(昭和25年)、岡山製作所を閉鎖し専用線の運行を取りやめることになった汽車製造は、同年11月17日に同線の地方鉄道免許を取得。翌1951年(昭和26年)4月1日、汽車製造などの沿線企業と岡山県、岡山市を株主とする岡山臨港鉄道株式会社が設立され、同年8月1日から運行を始めた。
開業当初は機械式ディーゼル機関車1両、タンク式蒸気機関車1両、国鉄払い下げ気動車(旧中国鉄道買収車)2両、貨車2両の合わせて6両が在籍。開業翌年の1952年度には工場通勤者を中心に年間65万4000人が利用した。さらに高度成長期には沿線が急激に都市化したことで、開業時と逆に沿線から岡山市街地に向かう通勤通学客の足となった。自転車利用の多い土地柄を反映し、岡山市中心部の南端にあたる大元駅から自転車で市街地の勤務先や学校に向かう需要が多かったため、車内への自転車持ち込みを認めて「自転車券」を発行した。
1968年度には、貨物輸送実績が最高の年間29万2000トンに達したものの、旅客輸送実績は沿線のバス路線拡充のあおりを受けて40万人を割り込んだ。その後も旅客輸送の落ち込みに歯止めがかからなかったため、1973年(昭和48年)には旅客列車を朝晩のみの1日4往復に大削減し、岡南元町 - 岡山港間の旅客列車運行も廃止した。岡山芳泉高校の開校(1974年)を受けて1975年(昭和50年)に12往復まで一時増やしたものの、1978年(昭和53年)に再び削減。さらに1970年代後半から貨物輸送実績も年間数万トン程度にまで減少したことから、会社は倉庫業、石油製品販売業、不動産業などの他業種に進出して経営を多角化し、1979年度には年間売上高に占める鉄道事業の割合は36%にまで縮小した。
1983年(昭和58年)、岡山市が策定した「岡山市交通基本計画」の原案に「岡山電気軌道の路面電車との相互乗り入れ」案が挙げられ、鉄道事業の存続を図る動きもあったが、非現実的として本計画への盛り込みは見送られた。また会社側は国鉄に対し、宇野線岡山 - 大元間の乗り入れ運転を求めていたが、実現しなかった。
貨物ヤード方式を廃止し、全国の貨物取扱駅を半減した1984年(昭和59年)2月1日国鉄ダイヤ改正の影響で鉄道の存続が困難になり、同年12月29日を最後に列車運行を休止。翌12月30日付で廃止された。開業から廃止までの34年間の累計輸送実績は貨物564万トン、旅客1,262万人だった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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