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岡崎 平内(おかざき へいない、嘉永元年(1848年) - 大正6年(1917年))は、日本の政治家。7代目平内〔2003年08月22日「とっとり県民の日と岡崎平内」/とっとり雑学本舗 〕。元衆議院議員〔『鳥取県大百科事典』130頁〕。初代鳥取県会議長〔。初代鳥取市長〔。 明治の鳥取士族、政治界の指導者として、明治の100年式典の時、県政功労者となった〔。幼名は兵太郎、長じて可観と改め、後明治13年(1880年)9月父の名を継ぎ平内と改める〔木村安蔵(節堂)著『因伯名士伝 一名 候補者列伝』二頁〕。 == 経歴 == 鳥取の馬場町、藩御用係500石の藩士の家に生まれた〔。平内の嫡男〔。 明治7年(1874年)、「愛国社」に入り自由民権運動に参加したが、一転して明治10年(1877年)に陸軍省に入省〔。まもなく帰郷して「共立社」に入って士族の矯正に当たる一方、機織場を設立して殖産興業に努めた〔。 明治9年(1876年)に全国で大規模な府県の合併が行われ、鳥取県は一時島根県に組み込まれた〔。島根県時代に、日野郡長、県会議員となり、「愛護会」会長として鳥取県再置に尽力した〔。明治14年(1881年)に鳥取県が再置されると、初代鳥取県会議長となり、山田県政を支えた〔。 明治21年(1888年)に市制が交付されると、初代鳥取市長となり、帝国議会が開設されると衆議院議員に選出されて、政府系の「大政会」に所属した〔。しかし、国会が政争の場に終始しているのを見て辞任〔。請われて西伯郡長、岩美郡長、市参事会委員などを歴任した〔。 晩年は自宅の剣術道場で雖井蛙流を研鑽した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岡崎平内」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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