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岡崎森林組合(おかざきしんりんくみあい)は、愛知県岡崎市明見町に事務所を置く日本の森林組合。岡崎市の森林地域23,325ヘクタール(同市の総面積の約60%)を管轄する。 == 沿革 == 1921年(大正10年)、旧河原村地域において、宮崎村初代村長の山本源吉を中心に75名でもって設立された「河原土工森林組合」を始まりとする。1934年(昭和9年)に宮崎地区で「中部土工森林組合」が設立され、1941年(昭和16年)には河原と中部が合併し「宮崎森林組合」となった。1962年(昭和37年)、旧形埜村と旧下山村ではそれぞれの組合が合併し「額田北部森林組合」となった〔 〕。 1975年(昭和50年)3月15日、上記「宮崎」「額田北部」と「豊富森林組合」の三つの組合が合併してついに「額田町森林組合」が誕生した。1956年(昭和31年)9月30日の4村合併以来19年間も森林組合の統一が果たされなかったのは、組合間の規模の差と体質の差があったからと言われている。組合員所有の森林面積はほぼ同じであったが、活動内容においては宮崎と他の2組合との間に大きな差があった。合併前年の出資金額は宮崎3,312万9000円に対し、額田北部250万円、豊富137万6000円であった。また、宮崎は独自の製材工場を持ち10名の常勤職員と作業班を組織して活動していたが、他の2組合は職員2名で植林用種苗斡旋や造林補助金の申請事務が主な仕事であった。資産の面でも宮崎の2千数百万円に対し、額田北部と豊富はそれぞれ100万円ほどであった〔 〕。 同年6月、森林組合の合併に伴って町ごとの林業クラブも一つになり、額田林業クラブが設立された〔林業研究グループの活動事例情報:フォレスターネット - 額田林研グループ 〕。 2006年(平成18年)1月1日、岡崎市は額田町を編入。これを受けて「額田町森林組合」と「岡崎市森林組合」の両組合は2008年(平成20年)6月6日に合併予備契約を結んだ。この予備契約において、組合員1,228名を擁する岡崎市森林組合は解散し、組合員1,526名の額田町森林組合に吸収合併されることが確認された。事務所は明見町の額田町森林組合に置き、新理事13名のうち6割程度は額田から選出されることも定められた〔「中日新聞」2008年6月7日 朝刊 西三河版 22頁〕。同年10月1日、「岡崎森林組合」が発足。 初代代表理事組合長には額田町森林組合長の平松繁が就任した。組合員は3,401名。管理する23,325ヘクタールの森林のうち、組合員の所有は16,803ヘクタール。出資額1億4,221万1,000円でスタートした〔「東海愛知新聞」2008年10月21日〕。 2014年(平成26年)6月28日、岡崎市の元助役の眞木宏哉〔代表理事組合長の眞木宏哉は2000年(平成12年)11月7日から2006年(平成18年)6月まで岡崎市の助役を務めた。〕が代表理事組合長に就任した〔岡崎森林組合 - 平成26年度事業報告 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岡崎森林組合」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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