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岡嶋博冶 : ミニ英和和英辞書
岡嶋博冶[こう, おか]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こう, おか]
 【名詞】 1. hill 2. height 3. knoll 4. rising ground
: [ばく, ひろ]
  1. (n,n-suf,vs) doctor 2. Ph.D. 3. exposition 4. fair 5. exhibition 6. commanding esteem 7. winning acclaim 8. gaining 9. receiving 10. command esteem 1 1. win acclaim 12. gain 13. receive
: [や]
 (n) melting

岡嶋博冶 ( リダイレクト:岡嶋博治 ) : ウィキペディア日本語版
岡嶋博治[おかじま ひろじ]

岡嶋 博治(おかじま ひろじ、1935年5月5日 - )は、京都府京都市出身の元プロ野球選手内野手)。
== 来歴・人物 ==
伏見高校では左腕エース太田武を擁し、遊撃手として1953年春の選抜に出場〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、115ページ〕。準決勝に進むが片岡宏雄のいた浪商に敗れた〔「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年〕。
卒業後は立命館大学へ進学するが、1954年7月に大学を中退して中日ドラゴンズに入団〔。1956年には牧野茂に代り遊撃手の定位置を獲得、翌年には三塁手に回り規定打席(17位、打率.242)に達する。その後もレギュラーとして起用されるが、1961年河野旭輝との交換トレードで、阪急ブレーブスへ移籍〔。
ここでも遊撃手、三塁手として活躍したが、1964年には山口富士雄の台頭もあり出番が減る。1965年シーズン途中に国鉄スワローズ(1965年途中からサンケイスワローズ、1966年からサンケイアトムズ)に移籍、主に二塁手として起用される。1967年には東映フライヤーズに移籍し、同年限りで引退した〔。
引退後はサンケイ・アトムズ・ヤクルトのコーチを経て、スリーボンドヤオハンジャパンの監督に就任している。両チームで都市対抗出場に導き、清水義之大西崇之を送り出した。
1958年から1959年にかけて、二年連続してセ・リーグ盗塁王を獲得しているが、1959年は当時の日本記録となる25盗塁死も記録している〔。打率は低いが、現役通算220盗塁をマークする俊足と毎年安打に匹敵するほどの四球が多い点から主に1番打者を担った。また、1イニング3盗塁の日本記録(1961年9月7日)保持者でもある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「岡嶋博治」の詳細全文を読む




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