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岡 市之助(おか いちのすけ、1860年3月28日(安政7年 3月7日) - 1916年(大正5年)7月20日)は、日清戦争から第一次世界大戦までの時期の、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。男爵。 == 経歴 == 長州藩士・陸軍1等軍吏、岡吉春(品川弥二郎の命で錦の御旗を密造)の二男として萩で生まれる。大阪外語学校を経て、1881年(明治14年)12月、陸軍士官学校(旧4期)を卒業。 卒業後は歩兵第8旅団副官、歩兵第20連隊中隊長、陸士教官を歴任。日清戦争には第1師団参謀として出征。参謀本部第2部員、軍令部第2局員を歴任し、日露戦争では陸軍省軍務局軍事課長をつとめた。1905年(明治38年)3月、陸軍少将。歩兵第22旅団長、参謀本部総務部長、歩兵第29旅団長、軍務局長、陸軍次官などを経て、1912年(明治45年)2月、陸軍中将に進んだ。 軍部大臣現役武官制改正問題では、次官でありながら木越安綱陸相批判の急先鋒となった。第3師団長を経て、1914年(大正3年)4月、陸軍大臣に就任し、上原勇作陸相以来の懸案であった2個師団増設を実現した。陸軍長州閥の中心的存在であったが、1916年(大正5年)3月、健康上の理由のため陸相を辞して待命となった。同年7月、日清・日露・第一次世界大戦の軍功により男爵位を授けられた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岡市之助」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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