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岡本 敏子(おかもと としこ、1926年(大正15年)1月1日 - 2005年(平成17年)4月20日)は、画家の岡本太郎のパートナーであり、養女。実質的な妻でもあった。千葉県出身。旧姓は平野。 ==人物== 1926年(大正15年)1月1日、千葉県に生まれる。東京女子大学文理学部卒業。出版社勤務を経て、岡本太郎主催「夜の会」で太郎と親しくなり秘書となった。事実上の妻であり、のちに太郎の養女となる。 1996年(平成8年)正月早々に太郎が急逝した際、未完の作品が数点のこっていたが、これらの全作品のその後の製作・仕上げにすべて監修として携わり、また太郎のアトリエ兼自宅を美術館として改装・公開を行った。その後、岡本太郎記念館の館長になる。太郎がメキシコで創作後、行方不明になっていた壁画『明日の神話』の捜索・補修に尽力した。2005年(平成17年)4月、自宅の浴室で心不全のため死去した。享年79。 テレビドラマ「TAROの塔」第4回の描写(大森寿美男脚本)にもあるように、太郎の生前から一般に太郎が大きく評価されることを望んでいた敏子は、その死後、インタビューや著書によって太郎の再評価をはたらきかけた。太郎の死後に、太郎が一般から再評価を受けるようになったのは、敏子の功績で、太郎にとっての敏子の存在はサルバドール・ダリにおける(二度目にして最愛の)妻・ガラのようなものであったと、財団法人岡本太郎記念現代芸術振興財団の平野暁臣(敏子の甥)が語っている。 敏子が「妻」ではなく「養女」として太郎に迎えられたのは、太郎が結婚というものを望まなかったためということが、二人と親交のあった瀬戸内寂聴から語られている。但し、太郎が結婚を望まなかった理由については明確になっていない。しかし、太郎がテレビで取り上げられる際には、「太郎は両親(岡本一平・岡本かの子)の結婚生活に嫌気を感じていたため結婚を嫌い」というように触れられることが多い(知ってるつもり?!の岡本太郎の回など)。また、瀬戸内寂聴はテレビ番組の中で、「太郎さんの遺産相続の際に“妻”では数分の一が太郎の異母きょうだいに行ってしまう。養女になれば100%敏子さんのものになる。太郎さんの遺作品を管理できるのは敏子さんだけ」とも語っている(NHK BSプレミアム『太郎と敏子〜瀬戸内寂聴が語る究極の愛〜』[2011年4月1日 20:00-21:30]) 。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岡本敏子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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