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岡本 歌子(おかもと うたこ、1918年(大正7年)4月1日 - )は、日本の医学者。止血剤:ε-アミノカプロン酸とトラネキサム酸の開発者の1人。 == 経歴 == === 生い立ち~学生時代 === 東京の上野と浅草のちょうど中間あたりにある下谷神社に宮司の長女として生まれた。幼少時は虚弱で、1年間休学までして療養したが、その後健康になり、区内の小学校対抗レースにリレーの選手として出るようになった。 東京府立第一高等女学校(第一高女、現・東京都立白鷗高校)に進んでからも陸上競技部に入り、走り幅跳びや短距離走の選手として活躍した。一方で、時間さえあれば図書室にこもり、「増鏡」、「古事記」、「源氏物語」などを読みふける文学少女でもあった。 第一高女では、市川源三(女子教育の先駆者で「女性である前に一人前の人間であれ」と主張)が校長であり、のちの人生に大きな影響を受けた。 〔岡本歌子「ある女性科学者の一世紀」 ドメス出版(2008年)〕 〔Medical Who’s Who 神戸学院大学名誉教授 岡本 歌子, JMS 2010: 7; 74-79〕 第一高女を卒業後、東洋女子歯科医学専門学校に進学したが、講義に興味が持てなかった。ただ、同校に非常勤講師として来ていた慶應義塾大学医学部生理学教室の林 髞助教授の物理学の講義だけは違い、彼の自然科学への強い憧憬と、研究者の激しい気迫に満ちた講義が、自然科学に興味を持つきっかけとなった。 やがて同校を中退、基礎医学を専攻するという目的を持って、東京女子医学専門学校(女子医専、現・東京女子医科大学)に進学した。女子医専を受けるに当たって父親から、「一番で合格したら学費は出してやる」という条件が付けられたが、見事にその条件をクリアーしている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岡本歌子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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