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岡田 信一郎(おかだ しんいちろう、1883年(明治16年)11月20日 - 1932年(昭和7年)4月4日)は、大正・昭和初期に活躍した建築家である。 東京生まれ。東京高等師範学校附属中学校、第一高等学校を経て、東京帝国大学卒業。東京美術学校(現・東京芸術大学)と早稲田大学で教壇に立ち、後進の指導に当たった。 和洋のデザインを問わず、歴史的な様式に従った建築を鉄筋コンクリートで建てることに定評があり、「様式の天才」と呼ばれた〔『ニコライ堂と日本の正教聖堂』(ユーラシア・ブックレット) p50, 東洋書店 (2012/10)、ISBN 9784864590662〕。 設計作品として、歌舞伎座、鳩山邸、明治生命館などがあり、関東大震災で倒壊したニコライ堂の鐘楼とドーム部分の再建も行っている〔『東京復活大聖堂 修復成聖記念誌』p80, 1998年5月17日、日本ハリストス正教会教団〕。 == 経歴 == * 1883年(明治16年)出生、父は陸軍薬剤官の岡田謙吉 * 1900年 - 高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業 * 1903年 - 旧制第一高等学校卒業、東京帝国大学工科大学へ入学 * 1906年 - 大学卒業、恩賜の銀時計を賜る * 1907年 - 東京美術学校講師 * 1911年 - 早稲田大学講師(翌年教授) * 1912年 - 大阪市中央公会堂の指名設計競技に参加、1等当選 * 1923年(大正12年) - 東京美術学校教授 * 1932年 - 逝去 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岡田信一郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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