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岡田弘隆 : ミニ英和和英辞書
岡田弘隆[おかだ ひろたか]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こう, おか]
 【名詞】 1. hill 2. height 3. knoll 4. rising ground
: [た]
 【名詞】 1. rice field 

岡田弘隆 : ウィキペディア日本語版
岡田弘隆[おかだ ひろたか]


岡田 弘隆(おかだ ひろたか、1967年2月22日 - )は、日本柔道家(7段)。岐阜県揖斐郡大野町出身。
得意技は小内刈り大内刈り大外刈り。身長170cm〔Biography and Olympic Results 〕。
== 来歴 ==

=== 20歳で世界王者に ===
町立大野小5年次より柔道を始めた。町立大野中学校から大垣日大高校へと進学。高校時代には既に周囲の期待を集め、2年次には全日本の合宿にも参加している〔。高校3年次の1984年インターハイ個人戦の軽重量級で優勝。
筑波大学に進学するが、前述の通り既に全日本合宿を経験していた岡田は、目標は世界だけと定めており、本人曰く「学生大会には全くと言っていいほど興味が無かった」との事〔。その言葉が示すように、入学してすぐの講道館杯で準優勝すると、翌86年には体重無差別の全日本選手権で2試合勝ち進むなど健闘を見せたほか〔この試合について大沢慶巳(後の十段)は、「2回戦で体重が倍以上の渡辺浩稔4段を破った事は、賞賛に値する」と観戦記を寄せている。〕、10月の嘉納治五郎杯で優勝し、シニア初タイトル。87年には全日本選手権で3位入賞を果たすと、全日本選抜体重別選手権で優勝し、同年11月にエッセンで開催される世界選手権の代表に選出され、この大会でも危なげなく優勝を果たした。岡田はこの世界選手権の事を、「負けるという不安がよぎった事はなかった」「日本の柔道が一番強いと信じていた」と振り返る〔。挫折怪我もなく弱冠20歳で一気に世界の頂点に昇りつめ順風満帆のように見える岡田だが、当時を「負ける気はしなかった」と言い放つ自信の根拠は、限界まで自分を追い込み続けた毎日の稽古だった〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「岡田弘隆」の詳細全文を読む




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