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岡田 正裕(おかだ まさひろ、1945年7月27日 - )は、陸上競技の元選手で、マラソン・長距離選手の指導者。熊本県熊本市出身。 == 来歴 == *鎮西高等学校から亜細亜大学に進む。1967年、3年生のとき亜細亜大学は箱根駅伝に初出場。主将として9区を走り区間9位。結果は総合11位でシード権を逃した。4年生のときは3区を走り区間10位であった。 *1968年に地元食品メーカーのフンドーダイに就職。10年の選手活動後、同社の会社員生活を経て、1986年からニコニコドーの監督を務める。ソウルオリンピック女子1万メートル代表の松野明美を育てた名将として有名である。 *その後、ニコニコドーが廃部となり、1999年に低迷していた母校・亜細亜大学の陸上競技部監督に就任。しかし前監督だった大塚正美との引き継ぎが大学側の不手際で十分ではなく、その為に事情を知らない部員達からは「前監督を追いだした」という誤解からわだかまりも生まれ、関係改善まで半年ほどを要した。普段の生活の改善と、夏合宿では月間1100kmを超える猛練習で、高校時代無名だった部員達を妥協なく鍛え上げた結果、就任3年目に箱根駅伝に返り咲いてからは2003年を除いてシード権を確保し、2004年は総合3位、2005年は総合7位ながら前回大会の記録を5分近く上回るなど、着実に力を付けていった。そして2006年の第82回東京箱根間往復大学駅伝競走で、優勝候補の大学が総崩れとなる中、亜細亜大学は9区で首位に立ち初の総合優勝を果たした。その手腕で各方面から名将と評価されている。 *2008年3月限りで亜細亜大学陸上部の監督を勇退し、4月より実業団九電工女子陸上部監督に就任。しかし2~3年後に成果を出す自身の育成目標と短期的成果を求める九電工側との指導方針の違いにより2009年3月に監督を辞任。 *2010年2月から、これまで予選会で4度もインカレポイントに泣いた拓殖大学陸上競技部の監督に就任。亜細亜大学のときと同様に、普段の生活の改善、練習の質重視から量重視への転換といった改革を推し進め、就任1年目の第87回東京箱根間往復大学駅伝競走予選会で1位通過に導き〔拓大復活!岡田監督が「地獄トレ」改革…箱根駅伝予選会 スポーツ報知 2010年10月17日閲覧〕、本戦でも、拓殖大学歴代最高である総合7位に導いた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岡田正裕」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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