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岡田 茂吉(おかだ もきち、1882年〈明治15年〉12月23日 - 1955年〈昭和30年〉2月10日)は、日本の文化人。宗教家、文明評論家、書家、画家、歌人、華道流祖、造園家、建築家、美術品収集家。 世界救世教、箱根美術館、救世熱海美術館(現:MOA美術館)などを創設した。自然農法の創始者としても知られる。 全人類の病貧争からの脱出(健康の実現、貧苦からの脱出、安全の実現)を基礎として、新文明世界(=地上天国、理想世界)を創造することを目指した。新文明世界は3つの活動理念「精神性」「美」「自然力」を培い発展させることによって達成されると説いた。 == 経歴 == === 生い立ち〜青年期 === 1882年(明治15年)、東京府浅草区橋場町(現在の東京都台東区橋場)にて誕生〔青年期までに数度の引越しを経験している。〕。幼少時には貧しい生活を体験する。また、虚弱体質で次々と病気にかかり、結核にもなり、不治の宣告も受けた。このような体験により、食生活の重要性に気付く。 日新尋常小学校を経て、浅草尋常高等小学校(現在の台東区立浅草小学校)に入学する。画家を志し、1897年(明治30年)9月に東京美術学校(現在の東京芸術大学美術学部)予備ノ課程に入学するも、眼の病に侵されて中退。 青年期には商売で成功する。だが、過労をきっかけとして多数の病気〔重症の脳貧血、チフス、胃痛、腸カタル、尿道炎、リュウマチ、扁桃腺、神経衰弱など。〕にかかり3回入院、不治の宣告を2回受ける。そのような体験の中で薬物の持つ副作用に気付き、医薬品や医者に頼らない、自然治癒力を重視した生活様式を築き上げていった。 小間物屋「光琳堂」、装飾品卸商「岡田商店」、映画館経営などの事業を行い順調に収益を上げたが、取引先銀行の破産で事業が頓挫。さらに妻が流産や死産を繰り返し、やっと妊娠した子も5か月で死亡、先妻も死去するなど不幸が重なる。慈善は好きだが宗教は根っから嫌う無神論者であったが、不幸が続くことで人間の力の儚さから救いを求め、様々な宗教の講話を聴く。ただし、信仰を勧められるも心は向かなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岡田茂吉」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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