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岡部 次郎(おかべ じろう、元治元年8月30日(1864年9月30日) - 大正14年(1925年)7月8日〔『官報』第3864号、大正14年7月10日〕)は、日本の衆議院議員(立憲政友会→中正会→憲政会)。 ==経歴== 信濃国佐久郡春日村(現在の長野県佐久市)出身。岡部弥門の二男〔『信濃人物略誌』p.53-54〕。上田中学校(現在の長野県上田高等学校)で学んだ後、東京の同人社で英学を学んだ〔『現代日本の政治家』p.22-23〕。1885年高橋是清の渡米に従い、その後、ハワイに渡って、ハワイ王国・ハワイ共和国の顧問を務めた〔『現代日本の政治家』p.22-23〕。その後、アメリカ本土に戻って、カリフォルニア大学を卒業〔『新代議士名鑑』p.199〕、さらにシカゴ大学で修士号を得た〔『代議士詳覧』p.327〕。また、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス、ハイデルベルク大学、パリ大学にも遊学した〔。 1899年、帰国して外務省翻訳官となった。その後、伊藤博文・渡辺国武を助けて立憲政友会の創設に尽力し〔、さらに『北海タイムス』の主筆となった。日露戦争の際には従軍して、外国通信員監督を務め、さらに営口軍政署外交課長、営口居留民団長、営口行政委員会議長を歴任した〔。 1912年、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、4回当選を重ねた。その間、第2次大隈内閣で海軍参政官を務めた。その他、満洲新報社長、国際平和協会専務理事、華日興業株式会社社長などの職にあった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岡部次郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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