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岡部 元信(おかべ もとのぶ)は、戦国時代の武将。今川家の家臣。後に甲斐武田家の家臣。 == 素性 == 通称は五郎兵衛、受領名は丹波守。名(諱)は元信のほか、よく知られるものには長教(ながのり)があり〔元信の直系である相馬藩編纂の『衆臣家譜』で元信の別名とされている。また『改正三河後風土記』でも岡部長教の名で記述があるほか、『寛政重修諸家譜』でも岡部正綱の弟・岡部長教(五郎兵衛・丹波守)と記載がある。〕、そのほか真幸(さねゆき)・元綱(もとつな)も、元信の別名であると推測されている。このうち、元信・元綱の「元」の字は、今川氏の家臣だった間に主君の今川義元から偏諱を与えられたものであり、真幸も、義元の子・氏真から重ねて偏諱(「真」の字)を賜う形で名乗ったものである〔歴史群像『戦国驍将・知将・奇将伝 ― 乱世を駆けた62人の生き様・死に様』P241〕。 岡部家の本貫は駿河志太郡岡部(現在の静岡県岡部町)で、朝比奈信置や孕石元泰と並ぶ駿河先方衆の1人であった〔。父は岡部親綱(玄忠)である。また弟が少なくとも2名以上いたことが分かっている〔永禄3年9月1日「今川氏真判物写」(『土佐国蠧簡集残篇』)〕。系図類などでは岡部久綱(信綱)の子である岡部正綱の弟とされることが多いが、元信(小次郎元綱)の初見は天文11年(1542年)であり、これは正綱の生年と同じである。また父親が明らかに別人であり、実際の所は不明である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岡部元信」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Okabe Motonobu 」があります。 スポンサード リンク
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