翻訳と辞書
Words near each other
・ 岩上順一
・ 岩下
・ 岩下くらら
・ 岩下伸樹
・ 岩下俊作
・ 岩下保太郎
・ 岩下修一
・ 岩下修壱
・ 岩下兄弟
・ 岩下光
岩下光一
・ 岩下光男
・ 岩下克樹
・ 岩下南谷
・ 岩下哲典
・ 岩下壮一
・ 岩下大輝
・ 岩下守道
・ 岩下家一
・ 岩下密政


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

岩下光一 : ミニ英和和英辞書
岩下光一[いわした こういち]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いわ]
 【名詞】 1. rock 2. crag 
: [した, もと]
 (adv) under (esp. influence or guidance)
: [ひかり]
 【名詞】 1. light 
: [いち]
  1. (num) one 

岩下光一 : ウィキペディア日本語版
岩下光一[いわした こういち]

岩下 光一(いわした こういち、1940年3月4日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手
== 来歴・人物 ==
大淀高校では1957年夏の甲子園宮崎予選を勝ち抜くが、東九州大会1回戦で鹿児島商に敗れる。卒業後は芝浦工業大学に進学。東都大学リーグでは1961年秋季リーグで、三番・遊撃手として芝工大の初優勝に貢献、最高殊勲選手に選出される。大学同期に、四番打者で国鉄入りした小川幸一がいる。
1962年東映フライヤーズへ入団。同年は遊撃手のレギュラーとして、同じ新人の青野修三と二遊間を組み、128試合に出場。チームのリーグ優勝と日本シリーズ制覇に貢献した。その後もレギュラーとして活躍するが、1966年は故障もあってわずか12試合の出場にとどまり、定位置を佐野嘉幸に譲る。しかし、1968年二塁手として復帰。ユーティリティープレイヤーとして内野全般をこなし、1970年には三塁手として90試合に出場。1971年限りで引退
引退後は東映・日拓・日本ハムで一軍コーチ(1972年 - 1973年)、二軍監督(1976年, 1979年 - 1983年)、二軍コーチ(1977年 - 1978年)、一軍守備・走塁コーチ(1984年)を務めた。1985年テレビ埼玉で解説者を務め、1986年ピングレ・イーグルスのコーチに就任し、退任後は福岡ダイエーホークスのスカウトを務めた。その後はクラブチーム「全府中硬式野球倶楽部」の技術顧問や国士舘大学硬式野球部のコーチも務めていたが、現在は退任。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「岩下光一」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.