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岩下左次右衞門 : ミニ英和和英辞書
岩下左次右衞門[いわした]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いわ]
 【名詞】 1. rock 2. crag 
: [した, もと]
 (adv) under (esp. influence or guidance)
下左 : [したひだり]
 (n) lower left (corner)
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 
: [みぎ]
 【名詞】 1. (1) right hand side 2. (2) above 3. afore-mentioned 4. foregoing 5. forgoing 
: [もん]
  1. (n,n-suf) (1) gate 2. (2) counter for cannons 

岩下左次右衞門 ( リダイレクト:岩下方平 ) : ウィキペディア日本語版
岩下方平[いわした みちひら]

岩下 方平(いわした みちひら / ほうへい〔『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 下巻』1頁。〕、文政10年3月15日1827年4月10日) - 明治33年(1900年8月14日)は、日本武士薩摩藩士)、政治家勲一等子爵。通称は左次右衛門、左二〔。
== 略歴 ==
文政10年(1827年)、薩摩藩士・岩下亘の長男として鹿児島城下の下加治屋町に生まれる。その後、岩下典膳道格の養子となる。
安政の大獄では、江戸において水戸浪士と結託して幕政打開を図ったが、挫折して帰藩する。安政6年(1859年)11月、精忠組に参加。文久3年(1863年)9月、薩英戦争和平交渉の正使として交渉を担当する。慶応元年(1865年)、家老を勤める。慶応3年(1867年)のパリ万博では、「日本薩摩琉球国太守政府」使節団長として、野村宗七や市来政清ら藩士等9人を率いて参加し、同年夏に帰国の際には、シャルル・ド・モンブランと数人のフランス人技術者を伴った〔 林竹二、東北大学教育学部研究年報第16集、1968年〕。
小松帯刀西郷隆盛大久保利通とともに藩政をリードし、倒幕活動に尽力した。王政復古の大号令では、徴士参与として小御所会議に参席。明治2年(1869年)9月、維新の功として永世賞典禄1000石を下賜された。
新政府においては、京都府権知事や大阪府大参事、元老院議官貴族院議員などを務めた。1887年、維新の功により子爵を授けられ、1890年10月20日、麝香間祗候となる〔『官報』第2195号、明治23年10月22日。〕。死去に際して勲一等瑞宝章が授けられた。享年74。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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