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岩井靖久 : ミニ英和和英辞書
岩井靖久[いわい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いわ]
 【名詞】 1. rock 2. crag 
: [い]
 【名詞】 1. well 

岩井靖久 ( リダイレクト:岩井隆之 ) : ウィキペディア日本語版
岩井隆之[いわい たかゆき]

岩井 隆之(いわい たかゆき、1953年5月30日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手。現在は北海道日本ハムファイターズスカウト。本名・岩井靖久
== 来歴・人物 ==
津久見高では1970年、2年生の時に遊撃手として、1年上のエース浜浦徹とともに春の選抜に出場。2回戦で高浦美佐緒のいた千葉商に敗退〔「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年〕。同年夏は中九州大会決勝で大分商小川清一に抑えられ甲子園出場を逸する。翌1971年春の選抜には、同期の橘健治を主戦投手として2年連続出場。1回戦で県岐阜商に敗れる〔。同年夏は県予選準決勝で鶴崎工藤沢哲也に完封を喫し敗退。
卒業後は法政大学に進学。東京六大学リーグでは1974年秋季リーグにエース江川卓を擁し優勝。同年の明治神宮野球大会は決勝で中大に敗れ準優勝。主に遊撃手として東京六大学リーグ通算95試合に出場し、330打数86安打、打率.261、5本塁打、38打点。1975年秋季リーグではベストナイン(遊撃手)に選出された。同年には第4回日米大学野球選手権大会日本代表となる。
1975年ドラフト2位で大洋ホエールズに入団。大洋では山下大輔らの壁を破れず、もっぱら守備固めに起用され、真価は発揮できなかった。1980年背番号変更を機に「隆之」に改名。1982年加藤俊夫とのトレードで日本ハムファイターズに移籍。移籍後は1983年から頭角をあらわし、菅野光夫榊原良行二塁手のレギュラーを争う。1984年には高代延博の前半欠場もあって遊撃手のレギュラーとなり、規定打席に到達し打率.286の成績を残すなど活躍した。翌年は高代の復帰に伴い二塁手に戻るが、白井一幸の台頭により出場機会は減少、1988年限りで引退した。
現役引退後の1989年から2年間日本ハムのスカウトに就任。その間、ドラフト外で木村拓也獲得を球団に進言して入団させた〔声落とす担当スカウト=巨人・木村コーチ死去 時事通信 2010年4月8日閲覧〕。
1991年に二軍守備・走塁コーチとして大洋(のち横浜)に復帰し1997年1999年は横浜一軍内野守備走塁コーチを務めた。その後2000年から2003年まで横浜のスカウトとして九州を担当した。この間内川聖一らの獲得に尽力。2004年湘南シーレックスの監督に就任し、2006年まで務めた。その年のオフに横浜を退団し、北海道日本ハムファイターズのスカウトに転身した〔週刊ベースボール2014年3月24日号 P19〕。中島卓也を担当した〔全試合出場を続ける中島卓也の球歴とは? ベースボールキング 2015年8月10日閲覧〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「岩井隆之」の詳細全文を読む




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