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岩佐亮佑 : ミニ英和和英辞書
岩佐亮佑[いわさ りょうすけ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いわ]
 【名詞】 1. rock 2. crag 
: [さ]
 【名詞】 1. help 
: [ゆう]
 (n) help

岩佐亮佑 : ウィキペディア日本語版
岩佐亮佑[いわさ りょうすけ]

岩佐 亮佑(いわさ りょうすけ、1989年12月26日 - )は、日本プロボクサー。第66代日本バンタム級王者。第44代OPBF東洋太平洋バンタム級王者。千葉県柏市出身。セレスボクシングスポーツジム所属。ニックネームは「eagle eye」。
== 来歴 ==
中学2年の時に、地元のセレスジムでボクシングを始めた。
中学卒業後にプロを目指すつもりだったが、セレス小林会長からアマチュアで実績を積むよう説得され、高校ボクシングの名門と呼ばれる習志野高校に進学。
そして高校3年時に選抜インターハイ国体の高校3冠を達成し、高校卒業後にプロ転向した。
2008年8月2日、後楽園ホールにて高橋慎弥(岐阜ヨコゼキ)を相手にプロデビュー戦を行い、5回TKO勝ちを収めてプロキャリアを白星でスタートさせた。その後、6連勝(4KO)。
2010年9月5日、後楽園ホールで臼井欽士郎横浜光)に4回1分8秒TKO勝ちを収め2010年度最強後楽園バンタム級優勝を果たしチャンピオンカーニバルへの出場権の獲得に成功、この大会のMVPに選出された〔MVP岩佐 技能・氏家、敢闘・田中 最強後楽園決勝で波乱も ボクシングニュース「Box-on!」 2010年9月5日〕。
2011年3月5日、後楽園ホールで日本バンタム級王者山中慎介帝拳)と対戦し、プロ初黒星となる10回1分28秒TKO負けを喫した〔期待以上の好ファイト! 山中、岩佐を最終回TKO撃退  日本バンタム級タイトル戦 ボクシングニュース「Box-on!」 2011年3月5日〕。この試合はプロ・アマチュア年間表彰の2011年度プロボクシング部門 年間最高試合賞にノミネートされた〔。
2011年8月6日、後楽園ホールにてラス・マヌディン(インドネシア)を相手に再起戦を行い、2回KO勝ちを収めて再起に成功した〔佐藤、氏家をパワーで鎮圧 東洋ミドル級戦 ボクシングニュース「Box-on!」 2011年8月7日〕。
2011年11月18日、後楽園ホールにて山中慎介が世界挑戦のために返上し、空位となった日本バンタム級王座をゼロフィット・ジェロッピ瑞山千里馬神戸)と争い、3-0(2者が98-92、97-92)の判定勝ちを収めて王座を獲得した〔岩佐も戴冠、ジェロッピに判定勝ち 日本バンタム級王座決定戦 ボクシングニュース「Box-on!」 2011年11月20日〕。
2012年3月3日、後楽園ホールで日本バンタム級2位の村井勇希グリーンツダ)を迎えて初防衛戦を行い、それまでKO負けのなかった村井から初回終了間際に左ストレートでダウンを奪い挑戦者は立ち上がれず。初回KO勝ちを収めて初防衛に成功した。その後、東日本ボクシング協会の月間最優秀選手賞に選ばれ、チャンピオンカーニバルの技能賞にも選出された。
2012年7月7日、後楽園ホールで日本バンタム級4位の益田健太郎新日本木村)を迎えて2度目の防衛戦を行い、7回TKO勝ちを収めて2度目の防衛に成功した。
2012年10月27日、東京国際フォーラムでデビッド・デラモラ(メキシコ)と対戦し、序盤から試合を優勢に進めて3-0(3者とも100-90)の判定勝ちを収めた〔三浦が三垣を1回KO 岩佐は判定勝ち ボクシングニュース「Box-on!」 2012年10月27日〕。
2012年11月30日、世界挑戦準備のために2度の防衛を果たした日本バンタム級王座を返上した。
2013年3月2日、OPBF東洋太平洋バンタム級10位のマーク・ジョン・ヤップ(フィリピン)を相手にバンタム級10回戦を行い、途中までは圧倒していたものの終盤にはダウン寸前まで追い込まれたがなんとかピンチをしのぎ7回までの貯金で逃げ切る辛勝で試合後は反省の弁を述べた〔岩佐判定○も「負けるかと」/ボクシング 日刊スポーツ 2013年3月2日〕。
2013年7月6日、後楽園ホールでジェッカー・ブハウェと対戦し、5回にダウンを奪い、7回にも攻勢をかけるなどし3-0(3者とも100-90)の判定勝ちを収めた〔岩佐が比国ランカーに判定勝ち Boxing News(ボクシングニュース) 2013年7月6日〕。
2013年12月6日、両国国技館にて、OPBF東洋太平洋バンタム級王者椎野大輝三迫)と対戦し、5回2分52秒TKO勝ちを収め王座を獲得した〔岩佐が椎野を5回TKOで下す OPBFバンタム級戦 Boxing News(ボクシングニュース) 2013年12月6日〕。
2014年3月25日、後楽園ホールでOPBF東洋太平洋バンタム級1位のリチャード・プミクピック(フィリピン)と対戦し、2-0(116-113、116-112、114-114)の判定勝ちを収めOPBF王座初防衛に成功した。
2014年12月2日、IBF本部でIBF世界バンタム級4位の岩佐亮佑とIBF世界バンタム級6位のセルヒオ・ペラレスアメリカ合衆国)との間で行われるIBF世界バンタム級挑戦者決定戦の入札が行われ、帝拳プロモーションが落札した〔岩佐亮佑、2月にIBF挑戦者決定戦出場へ Boxing News(ボクシングニュース) 2014年12月3日〕。
2014年12月25日、IBF世界バンタム級挑戦者決定戦に出場する為、OPBF東洋太平洋バンタム級王座を返上した〔岩佐亮佑がOPBFタイトル返上、2.18挑戦者決定戦 Boxing News(ボクシングニュース) 2015年1月7日〕。
2015年2月18日、後楽園ホールでIBF世界バンタム級6位のセルヒオ・ペラレスアメリカ合衆国)とIBF世界バンタム級挑戦者決定戦を行う予定だったが、ペラレスが膝を負傷したため、リカルド・ロア(フィリピン)との54.5kg契約10回戦に変更となり、2回2分55秒TKO勝ちを収めた。
2015年3月17日、IBF世界バンタム級王者ランディ・カバジェロの足首の負傷による戦線離脱に伴い設置されたIBF世界バンタム級暫定王座決定戦をIBF世界バンタム級4位のリー・ハスキンスと行うよう指令を受けた。岩佐陣営とハスキンス陣営の間で対戦交渉を行い、30日以内に合意に至らない場合は入札になるとのこと〔BFが岩佐亮佑vsハスキンスの暫定戦をオーダー Boxing News(ボクシングニュース) 2015年3月18日〕。
2015年6月13日、ブリストルのウィットチャーチ・スポーツ・センターでIBF世界バンタム級4位のリー・ハスキンスとIBF世界バンタム級暫定王座決定戦を行うも、左ストレートでダウンを喫し、立ち上がった後も連打につかまり、6回2分10秒でTKO負けで王座獲得に失敗した〔Haskins TKOs Iwasa for interim IBF 118lb belt Fight News June 13th, 2015〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「岩佐亮佑」の詳細全文を読む




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