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岩倉 具忠(いわくら ともただ、1933年9月10日 - 2016年2月13日〔京都大名誉教授の岩倉具忠さん死去 岩倉具視の直系子孫 朝日新聞 2016年2月22日〕)は、日本のイタリア語学者・イタリア文学者。専門は、イタリア語史・ダンテ研究・比較文化史。京都大学名誉教授。文学博士(京都大学、1988年)。 ==経歴== 岩倉具視の5代目の子孫。公爵岩倉具栄の長男。母は伯爵藤堂高紹の長女。 東京府生まれ。1946年、学習院初等科卒業。1949年、学習院中等科卒業。1952年、学習院高等科卒業。1953年、学習院大学経済学部入学。1955年、京都大学文学部に編入学。1957年、京都大学文学部イタリア文学科卒業。1959年、同大学院修士課程修了。同年9月、イタリア政府留学生として、フィレンツェ大学ののもとでイタリア語史を学ぶ。1961年9月に帰国。1962年、京都大学大学院博士課程を修了し、外務省所管の民間法人である国際文化振興会(1972年以降は特殊法人国際交流基金)に勤務。1964年5月4日、河野文彦(当時三菱日本重工社長)の次女と結婚。夫婦でローマ日本文化会館に勤務。1970年4月にローマより帰国。1975年に国際交流基金を辞し、京都大学文学部イタリア文学科助教授、1988年に教授に昇進。1992年から93年まで駐イタリア公使・ローマ日本文化会館館長を務めた〔。 1997年に京都大学を定年退官。その後、京都外国語大学教授。2005年より霞会館理事。 2016年2月13日に死去〔。82歳だった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岩倉具忠」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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