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岩倉 具経(いわくら ともつね、1853年7月22日(嘉永6年6月17日)- 1890年(明治23年)10月17日〔『明治維新人名辞典』127-128頁。〕)は、幕末の公家、明治期の官僚・華族。幼名・八千麿、八千丸〔。 ==経歴== 山城国京都で、岩倉具視の三男として生まれる〔。母は野口為五郎の娘槇子〔。 戊辰戦争に際し慶応4年1月9日(1868年2月2日)東山道鎮撫使副総督を命ぜられ、兄の総督・岩倉具定と共に江戸へ進軍〔〔『百官履歴 下巻』404-405頁。〕。同年5月20日(7月9日)奥羽征討白河口副総督に任じられたが、同年6月6日(7月25日)若年で勉学につくため免ぜられ帰京〔〔。同月、勲功により一家を創設し堂上に列せられた〔〔『平成新修旧華族家系大成』上巻、212頁。〕。同年7月15日(9月1日)元服して昇殿を許され勘解由長官に任じられた〔。明治2年6月2日(7月10日)戊辰の戦功により賞典禄200石を永世下賜された〔。明治3年1月(1870年2月)アメリカ合衆国へ留学し、1878年1月に帰国〔。 1878年8月20日、太政官権少書記官・法制局専務となる〔。以後、兼大蔵権少書記官、大蔵権少書記官兼太政官権少書記官などを歴任〔。1884年7月8日、男爵を叙爵〔『官報』第308号、明治17年7月9日。〕。同年9月、外務書記官に転じロシア公使館で勤務した〔。帰国して1890年3月に宮中顧問官に就任したが、同年10月に病のため死去〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岩倉具経」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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