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岩倉宮忠成王(いわくらのみやただなりおう、承久3年(1221年) - 弘安2年3月11日(1279年4月23日))は、鎌倉時代の皇族。順徳天皇の第五皇子。品位は無品。岩倉宮、広御所宮を号す。 == 略歴 == 仁治3年(1242年)正月9日四条天皇が崩御するが、僅か12歳での崩御であったことから皇太子が定まっていなかった。忠成王は土御門天皇の皇子・邦仁王とともに皇嗣候補として名が挙がり、忠成王には縁戚の九条道家が、邦仁王には土御門定通が付いて、それぞれ幕府に働き掛けを行った。鎌倉幕府執権の北条泰時は順徳天皇の皇子である忠成王の即位に難色を示し、一時は軍事介入を仄めかしながら、鶴岡八幡宮の神意であるとして、同じく後鳥羽天皇の孫にあたる邦仁王を推した。結局、同年の3月18日に邦仁王(後嵯峨天皇)が即位した。 忠成王は宝治3年(1249年)2月25日に元服し、岩倉宮と呼ばれるようになる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岩倉宮忠成王」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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