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岩城 隆恭(いわき たかよし)は、出羽亀田藩の第6代藩主。 享保9年(1724年)9月6日、陸奥仙台藩伊達氏一門の岩谷堂伊達家第5代当主・伊達村望の子として生まれる。延享2年11月10日(1745年12月2日)、第5代藩主・岩城隆韶の死去により、その末期養子として家督を継いだ。これは、隆韶が伊達氏からの養子だったからである。また、隆恭の実父・伊達村望は、岩城常隆の子孫にあたる岩谷堂伊達家の当主であり、岩城氏の後裔(隆恭は常隆の6代目の子孫)であった。こうした養子相続にともなって、藩内では隆恭に従って新たに亀田藩に入ってきた伊達家からの家臣と、旧来の岩城家家臣による権力闘争が起こり、さらに本家の出羽久保田藩との抗争も起こるなど、苦難が続いた。 藩財政も凶作が連年のように相次いで窮乏化し、領民も多数が逃散し、城の石垣を再建することもできなかったと言われている。江戸上屋敷の雨漏れを修理することすらできず、雨漏れを油衣で凌いだため、「岩城の赤油衣」と揶揄されたというエピソードがある。 天明2年(1782年)11月3日に死去した。享年59。跡を次男の隆恕が継いだ。 == 系図 == 岩城常隆-伊達政隆 - 国隆=宗規(仙台藩主・伊達忠宗の七男)- 村隆=村望(宗規の母方の実家・三沢氏からの入嗣)-岩城隆恭 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岩城隆恭」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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