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岩崎喜勢 : ミニ英和和英辞書
岩崎喜勢[いわさき きせ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いわ]
 【名詞】 1. rock 2. crag 
: [みさき]
 (n) cape (on coast)
: [はずみ]
 【名詞】 1. (1) bounce 2. spring 3. rebound 4. (2) momentum 5. inertia 6. (3) spur of the moment

岩崎喜勢 : ウィキペディア日本語版
岩崎喜勢[いわさき きせ]
岩崎 喜勢(いわさき きせ、弘化2年2月10日1845年3月17日) - 大正12年(1923年4月8日)は、江戸時代末期(幕末)から大正にかけての女性。三菱財閥の祖・岩崎弥太郎の妻。
== 生涯 ==
弘化2年(1845年)、土佐国長岡郡三和村浜改田(現・高知県南国市郷士高芝重春(玄馬)・徳夫妻の次女として誕生。
生まれて間もなくに父・重春が死去したため、母・徳は安芸郡井ノ口村(現・高知県安芸市)郷士の久萬氏に再嫁し、喜勢は吾川郡御畳瀬村(現・高知県高知市)に住む叔父の高芝小七郎・古馬夫妻によって養育された。
文久2年(1862年)、母の再嫁先である久萬直勝吉村喜久次・はつ夫妻(岩崎弥太郎の姉夫婦にあたる)の仲介・媒酌によって土佐藩の地下浪人・岩崎弥太郎に嫁いだ。弥太郎との間に長女・春路(加藤高明夫人)、長男・久弥三菱の3代目総帥)、次女・磯路(木内重四郎夫人)の1男2女をもうけ〔岩崎家傳記刊行会 編纂 『岩崎久彌傳』p.152 東京大学出版会 1961年12月2日発行〕、家庭では義父・弥次郎や義母・美和によく仕えたといわれている。喜勢は明治7年に東京府に移転するまで美和達と土佐で暮らした。
維新後の明治7年(1874年)、東京府(現・東京都)に転居。自邸内に雛鳳館を作って子女(養子や弥太郎の妾腹の子を含む)の教育を行い、また美和とともに真言律宗釈雲照に帰依し、十善会・婦人正法会を発足した。
大正12年(1923年)、死去。墓所は東京都豊島区染井霊園(のちに染井霊園に隣接する岩崎家の墓地に改葬されている)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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