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岩崎 孝子(いわさき たかこ、1888年(明治21年)7月 - 1975年(昭和50年)9月10日)は、実業家・岩崎小弥太の妻。島津珍彦の娘。母は島津斉彬の四女・典子。虎屋が販売するゴルフボールを模した最中「ホールインワン」を考案した人物として知られる。 1888年(明治21年)生まれ。華族女学校に学び、1907年(明治40年)、岩崎小弥太と結婚〔『岩崎小弥太傳』73ページ。〕。夫の小弥太は来客の多い人物であったが、そうした来客の接待は妻の役割であった〔『岩崎小弥太傳』105-106ページ。〕。大正末期、孝子は夫がゴルフ大会の後に催したパーティーに手土産としてゴルフボールを模した菓子を出すことを思いついた。これは当時はまだ高価だったゴルフボールがもらえると喜んだ来客がよく見ると、実際には菓子である、という趣向であった。当時岩崎家に出入りのあった虎屋に作らせた菓子は好評で、後に虎屋が「ゴルフ最中」の名称で(1934年に「ホールインワン」に改称)販売するようになった〔歴史上の人物と和菓子 -岩崎小弥太とゴルフ最中- 〕。 敗戦直後の1945年12月に夫の小弥太が没した。その後進められた財閥解体に伴う措置により、岩崎孝子は他の一族10人とともに財閥家族に指定され、財産を持株会社整理委員会に管理される身となった。戦後は旧財閥の一族が上位から減少する中でも長者番付に名を連ねたが〔「億万長者16人 番付まとまる」『読売新聞』昭和26年(1951年)4月3日付朝刊。〕〔「億万長者 三井11位、岩崎は14位 筆頭石炭の古谷、二位は住友」『読売新聞』昭和27年(1952年)5月2日付朝刊。〕、滅多に上京することもなく熱海で過ごした〔『岩崎小彌太 三菱を育てた経営理念』270-271ページ。〕。87歳で脳出血により熱海市林ヶ丘の自宅で死去〔、残されていた美術品は義理の息子にあたる岩崎忠雄により、大部分が静嘉堂文庫に寄贈された〔『岩崎小彌太 三菱を育てた経営理念』271ページ。〕。 ==脚注== 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岩崎孝子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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