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岩戸山古墳(いわとやまこふん)は、福岡県八女市にある前方後円墳。八女古墳群を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている(史跡「八女古墳群」に包含)。 九州地方北部では最大規模の古墳で〔九州地方最大の古墳は宮崎県の女狭穂塚(墳丘長176m)。〕、6世紀前半(古墳時代後期)の築造と推定される。 == 概要 == 八女市北部、八女丘陵上に展開する八女古墳群を構成する古墳の1つ。八女丘陵は東西10数キロメートルからなり、5世紀から6世紀にかけての古墳が数多く築かれている〔5世紀から6世紀の古墳が多いが、厳密には4世紀前半の方形周溝墓から7世紀前半の円墳までが見られる(『岩戸山歴史資料館 展示図録』p. 9)。〕。その数は前方後円墳12基、装飾古墳3基を含む約300基に及び、当古墳はその中でも代表的なものである〔『岩戸山歴史資料館 展示図録』p. 9。〕。 古墳は東西を主軸にして、後円部が東に向けられている。2段造成で、北東隅に「別区(べっく)」と呼ばれる一辺43メートルの方形状区画を有するという特徴を持つ〔『岩戸山歴史資料館 展示図録』p. 16。〕。築造年代は須恵器の年代観から6世紀前半と見られ、被葬者と推定される筑紫君磐井に関する記録とも一致している〔。内部主体は明らかとなっていないが、電気探査等で横穴式石室と推定される構造が確認されている〔。なお、墳丘脇には神社(大神宮)が鎮座しているが、古くは後円部墳頂に鎮座していた。 墳丘・周堤・別区からは一般に「石人石馬」と総称される当地周辺特有の石製品が100点以上出土しており、その数・種類は他の古墳を圧倒している〔。これらは人物・動物・器財の3種類に大別され、実物大を基本とするという特徴を持っている〔。なお、現在の別区には石製品のレプリカが大きさを縮小して建てられている。 当古墳は昭和30年(1955年)12月23日に国の史跡に指定された。昭和53年(1978年)3月24日付けで、史跡の追加指定・統合指定が行われ、指定名称が「八女古墳群」に変更された。〔『図説日本の史跡 3 原始3』(同朋舎出版、1991)、p.206〕〔既指定の史跡「岩戸山古墳」「乗場古墳」「石人山古墳」「善蔵塚古墳」「弘化谷古墳」の5件を統合し、未指定の古墳3基(丸山塚古墳、丸山古墳、茶臼塚古墳)を追加指定したうえで、指定名称を「八女古墳群」とした。〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岩戸山古墳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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