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岩木 康郎(いわき やすろう、1946年3月18日 - )は、大阪府大阪市西成区〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、69ページ〕出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。 == 来歴・人物 == 浪速高校では1963年夏の甲子園府予選準決勝に進出するが、和田徹捕手のいた明星高に敗れ甲子園出場を逸する。明星高は甲子園で優勝。1964年に近鉄バファローズへ入団〔。二軍暮らしが長かったが、1969年に正捕手に抜擢され104試合に出場。しかし翌年には、移籍してきた辻佳紀に定位置を譲る。その後も辻とレギュラーを争うが、1974年に梨田昌孝が台頭したこともあって出番が減り、一軍出場は1974年が最後となった。1977年から3年間は二軍コーチ兼任〔朝日新聞東京本社版1979年3月8日付朝刊29面〕で選手を続けたが、1979年限りで選手を引退し、翌年からは二軍コーチ補佐〔朝日新聞東京本社版1980年3月12日付朝刊28面〕となり、代わって木村貴臣が選手兼任捕手となった。 その後は、スカウト、スコアラー、バッテリーコーチ等を歴任し、2006年まで、近鉄を長きに渡り陰から支えた〔。 1971年9月9日に鈴木啓示投手がノーヒットノーラン(対西鉄戦、日生)を達成した時にバッテリーを組んでいた。(選手名鑑に想い出の試合として記載) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岩木康郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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